コンテントヘッダー

ユグサミ。"3day"

ただいま製作中....



■ 紹介動画その1




■ 登場人物





▼前作で要望の多かった意見を取り入れてます。
・町移動やダンジョン脱出できるものが欲しい
  →ダンジョン脱出アイテムを実装します。また、町移動NPCも配置予定です。
・エンカウントを下げて欲しい
  →エンカウントを少し下げています。
・ミニマップが欲しい
  →フィールドマップのみ、マップを作ります。(ミニマップじゃないけど)
・難易度が低い
  →主にボスキャラを強くしています。
・BGMがうるさい
  →ほぼ全ての音量を90%にしています。
・バグをちゃんと取り除いて欲しい
  →デバッガー募集中です。
・ゴールドが余って装備が楽に手に入ってしまう
  →ゴールドの調整に力を入れています。


▼こんな変更点もあります。
・魔法書システムの廃止(一部あるかも)
・主人公以外の名前変更不可
・敵からの不意打ち廃止
・HPを回復する復活系アイテムの実装
・反撃系スキルの向上
コンテントヘッダー

― 終章.癒しの聖樹の下で ―

 海の神殿、その地下部分に全員が転送されても尚、ゲートが閉じきらないせいか空間がぴりり…と震えて不安定に感じられ、従って皆、より確実な安心を求めて広い静かな空間をひたすらに走り続けた。…漸く足を止めたのは、もう神殿入口に近い、あの「秘宝を以て扉を開いた」地点の、魔法力の橋を渡りきった所。ここまでくれば安全だろうと言う安堵感も手伝ってか、流石に全員が疲れ果てた様子で、その場にへたり込んでしまった。
「…ん。あれ見ろよ、扉が勝手に閉まってくぜ?」
 やっと息が整った頃、スバノンが背後の異変に気付く。見ればその言葉通り、神殿内部へ…即ち異界へと続く廊下、その道を封じる扉が何の作用でか閉じて行き……そして音を立てて完全に閉ざされた。
 同時に、秘宝で生み出した魔法力の橋が、まるで虹が消えていく時の様にその姿を虚ろにしていく。見る間に影さえなくなって、神殿は完全に、元の静かな、何の為に佇んでいるのかが謎な状態へと還っていった。
 ――― これで……あの人の眠る空間へは、もう二度と行けなくなったと言う事か。
 何となく、全員が言葉も発せずに封じられた扉の方を見ていると…。
「…おっ、エルフィンちゃん!」
「えっ? ― お兄ちゃん…どうしてここに?」
「いや~、さすがにちょっと心配になっちゃってね。で…どうだったの?魔王は倒せた?」
 急に、入口へ向かう階段の方から聞こえてきた声に驚かされる。見れば、アスティの「お兄様」たるネコ耳青年が、言葉の割にのんびりと近づいてくるところだった。
「ああ、バッチリだぜっ。なかなか強敵だったが…」
「そうか……それは、よかった」
「――― ん。戻ってきたのか?」
 既に普段の調子を取り戻して、スバノンが告げるとリンさんもにっこり笑う。そのリンさんの背後に、新たな人影が2つ、浮き上がった。
「げ。なんでお前までいるんだ、レジー」
「どーでもいいだろ。で、どうだって?」
「魔王を倒したんだって」
「へえ……でかいこと、してくれんじゃん」
「お前のためじゃねーよ…」
 途端に眉をしかめたスバノンはスルーで、リンさんとレジーさんでの会話が進む。…この2人、知り合いだったのか。あまり一緒に歩きそうな印象のない組み合わせだが…尤もトワイライトで出逢ってはいたのだったか。それだけにしては仲が良いが、何かしらの波長でも合ったのだろうか。
 何だか疲れた様に、レジーさんの簡素な称賛を肩を落として聞いているスバノンの隣では、ブルーさんと今1つの人影とが声を掛け合っている。
「あれ…ラーンさんも、なんでここに?」
「えへへ~。レジーちゃんがここに来たいって言うから、手伝ってあげたの」
「あんた…塔の管理は一体、どうなってんの…」
「ほぇ?…そ、それはほら~、アリアンの魔法陣の管理人さんがこっちも見てくれてるからぁ~」
「―…本っ当に、言葉もないよ…」
「あ、あははは~」
 こちらはこちらで、何だか楽しそう…いや、疲れていそうだ。まあ、スバノン相手の時と違い、ラーンさんとの掛け合いは、見ている方は何か癒されて良いかも知れない…当人達には言えないが。
「て言うか、レジーさんとラーンさんって、お知り合いだったんだ?」
「まあ、ちょっとな」
「え~、ちょっとじゃないでしょお~。あの時だってあ~んなに…」
「おい、余計なこと言うな」
「んー…聞きたい気もするけど、やめとこ…」
「だいじょうぶ~。あとで教えてあげるよアスティちゃん~」
「…だから余計なこと言うな」
「それにしても、みんな良くこんなとこまで来たね。どうやって来たの?」
 アスティとラーンさんだと、こう言ってはなんだが、聞いている方は脱力感が4~5割増しになる気がする…寝惚け状態でない分、アスティはましか。
 そこへ、レディアさんが「そういえば聞きたい疑問」の筆頭を、遅ればせながら投げかけた。確かに不思議だ……幾らラーンさんがいると言え、転送魔法陣もないこの地には、移動は容易でない筈だが。と言うか、容易ならそもそも魔王が、ここへ閉じこもろうとはすまい。
「ははは。それがね、船を貸してもらえたんだ」
「…誰に?そんな気前のいい人がいたんだ?」
「シュトラの酒場で知り合った男の人がね、ボルティッシュ行の船を手配してくれてさ」
「…えらい強引だったけどな」
「あはは。まあ、お酒の勢い…でもないか、あれは……とにかく、そんなわけさ」
 リンさんとレジーさんの答えに、レディアさんは首を傾げていたが。ユグドからずっと旅をしてきて、シュトラでも事件を解決してきた初期メンバーには思い当たる節があった。
「シュトラ…酒場…あー、あの人か」
「おお、あの酒豪か!さっすが金持ちだな、船まで手配できるのか」
 そう。パスポートの代金で困っている際に仕事をくれた、あの人だろう。どうやら強引なだけではなく、実際それなりの町の顔役なのかもしれない。ボルティッシュ行の船といえば、ビガプール王の勅命で運行を禁じられていた筈で、それを動かせると言うのは中々のものだから。
「さて…いつまでも、ここで話してたってしょうがない。とりあえず帰ろうか」
 リンさんの提案に、皆も頷く。異界は閉じられ、空間は既に安定してはいるだろうが……そうは言っても決して、長居したい場所ではない。
「そうだね。行き先は…みんなでユグドかな?リンちゃんちに、お世話になろっか」
「そうだな。みんなで帰ろうか、ユグドに…」
 レディアさんとスバノンが真っ先に決定案を出し、そして ――― 間もなく、全員が2艘の船で海の神殿を後にした。恐らく、もう来る事もないだろう神殿は…まるでこの船達を見送っているかの様に、何故かいつまで経っても視界から消える事がなかった…。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 少々、寒気を感じて目を開ける。
 不自然な体勢で寝ていたせいか、首が少し痛い……どうやらテーブルに突っ伏したまま、数刻ほど寝入っていたらしい。周囲は既に、宵闇に閉ざされていた。
「お、起きたね。エルフィンちゃん」
 そんな声が、上からかかる。身体を起こし座り直して見直せば、レディアさんが小さな灯りの下、古文書らしき本を読んでいた。
「もう夜だよ。て、まぁ見れば判るか。レジーさんとラーンさんはもう寝ちゃった。ブルーさんも、そこで潰れちゃってる」
 ―…潰れて?
 言われた方を見れば、なるほどブルーさんが、床にめり込むかの姿勢で爆睡していた。…せめて肌かけ位持ってきてあげる人はいなかったのだろうか……まぁ風邪をひく季節でもないが。
 そもそも、自分からして何故に、テーブルで寝ていたのだったか…事の経緯を思い出してみる。
 確かリンさんが、今日は宿屋を貸切だと言いつつ仲間全員を食堂に誘って…初めは皆で、あの戦いの話を聞かれるままに語っていて。その内、ブルン国王の船を返しに行かないととか、秘宝もあるべき場所へ還した方が良いだろうとか、いわば今後の相談みたいになっていた。
そこまではいいのだが…その後確か、アスティ達のお母さんが色々料理を運んでくれて…いつの間にか宴会状態に縺れ込んでいた様な。レジーさんやリンさんレディアさんはともかく、アスティに至るまでがワインとか飲んでいたりした様な……自分も恐らく、それが寝落ちの原因か。
「レジーさんとラーンさんは明日帰るんだって。ブルーさんも多分、数日内にはスマグに帰るんじゃないかな?ここに残りたそうな顔もしてたけど…ま、リンちゃんがいる内は安住出来なそうだし。それに、魔法使いは結局、スマグに住む方が何かと便利だからね」
 本に集中しているのかと思ったら、語るでもない風にレディアさんが教えてくれる。
「私も…明日か明後日には、アリアンに帰ろうかな」
 そうか……魔王を倒す、それはこの旅の終わりをも意味していたのだった。目的が達成された今、仲間達はそれぞれの在るべき場所へと帰っていく。当たり前の事だったのに、どうして今まで思い至らなかったのだろう。何だかずっと…ずっと皆、一緒に居られる様な気になっていた。
「――― 大丈夫だよ、エルフィンちゃん。残るものもちゃんと、ある」
 気持ちが沈んで、それと共に下がっていたらしい視線をあげると、レディアさんがいつになく優しい笑顔でこちらをじっと見据えていた。
「たとえ皆がそれぞれの場所に戻っても、結ばれた“絆”は消えない。たとえ一生の内からすれば、ほんの瞬きほどの時間だったとしても、この冒険は何より密度の濃い“時”だった。その時の中で育まれたものが消えるなんて、ない事だから。そして……だからこそ、それがエルフィンちゃんを支える力になる」
 …?何故、私限定なのだろう。疑問が目に出たのか、それに応える様にレディアさんが笑った。と、次の瞬間には普段の、いや普段以上の生真面目な表情に戻る。
「……忘れる事は無理でも、思い出には出来るから。相手が故人であれば、意外と楽に思い出として“想いを薄める”事は出来る。相手が生きてると中々、難しいものだけどね ――― 途中で苦しい時があっても、仲間の思いがきっとエルフィンちゃんを助けるよ。だから、皆を…忘れないでいて。エルフィンちゃんは、あのエガオンとは違うんだから」
 ―…日頃が結構手厳しい人だけに、それはかなり胸に優しく響く言葉だった。知らず目が潤みかけたが……ふと、何か奇妙な、違和感めいたものを感じて彼女を見返す。
 相手が生きていると難しい ―――― そう言った時、ほんの一瞬、その瞳が揺らいだ気がした。どうして…何か心当たりでも……考え、そして或いは思い当たったかもしれない、その時。
「スバノンとアスティちゃんは、外にいるみたいだよ。もしエルフィンちゃんが起きたら、来てほしい様なこと言ってたっけ。行ってあげると喜ぶよ、きっと」
 絶妙なタイミングで、そう言うと再び、レディアさんは手元の古文書を読む態勢に入ってしまった。…まあ、あまり問い質す様な話でもあるまい。ここは静かに立ち去る事にして、彼女に助言へのお礼だけを簡単に述べ、席を離れる。…未だ爆睡中のブルーさんは、動かすのは難しいのでひとまず、ローブを上にかけてあげた…。



「お、エルフィンちゃん起きたんだ。アスティ達はまだ、外にいるみたいだよ」
 食堂から宿屋の外へと続く廊下を歩いていると、先程ちらりと思い浮かべた顔がそう言って微笑んでいた。軽く挨拶して、すれ違おうとすると…その手が私の手を取り、握手よりは力を込めた感じに握ってくる。
「エルフィンちゃん……アスティの面倒見てくれてありがとう。エルフィンちゃんのおかげで…アスティは強くなったよ。本当に」
 そう言うリンさんの顔は、いつもの茫洋とした雰囲気はなく、言葉以上に真剣な感謝が篭った感じだった。猫の様に光る瞳が、いつにない真面目な色を湛えてそこにある。
「今度は、きっとアスティがエルフィンちゃんを支えるよ。力とか言葉じゃない、ただ傍にいる…その事でね。それはスバノンや、他の仲間も同じ事さ。……まぁ、僕はたぶん役に立たないけどね」
 最後だけは、おどけた調子だったけれど。今までで一番真面目な様子で語るリンさんは、どこまで事情を知っているかは謎だけれど、それでも的確に元気づけてくれた。
「僕はまた旅に出ようかな。…常に何かを調べて世界を回る、それが僕に向いてるんだよね。だから、誰かを支えるには向いてないんだけど。でも君達の事、応援はしてるからね、いつでも」
 あはは、と笑ってそう続けた後、恐らく自室へ戻るのだろう、階段へと向かう背中を見て思った。…なるほど、この人が相手では気苦労は絶えないだろうな……と。でもいずれ、調査の旅の中にでも何か進展があれば良い。今はそっと、そう祈っておく事にした。



「あっ。エルフィン~起きたんだね。エルフィンも、こっちおいで」
 宿屋の庭先、ほぼ路地に出る辺りに、月明かりに照らされた人影がふたつあった。その内の片方が先に気づいて、声をかけてくる。その声音は確かに成長を示していて、ほんの少し前までの“甘えモード”に移行しそうな気配は全く感じられなかった。
「おー、やっと起きたか。ま、疲れてるだろうし仕方ないけど…今夜は月が綺麗だぞ」
「こうして3人で夜に話すのって……何だか懐かしい感じだね」
「そうだな…思えば、あの日の夜が始まりだった。まさか魔王を倒すだとか、そんなところまで発展するなんてなぁ」
 並び立った所へ、スバノンも加わりそんな会話が交わされる。2人と視線の向きを合わせると、清らかな月光の下、村の象徴である大木の影がここからでもはっきり見えた。
「ほんと…でも、良かった。いろんな人たちと巡り合えた。いろんな事を知って、いろんな経験もできた。あの日の事があって、こんな冒険につながったんだよね」
「ああ…中にはレジーみたいな訳わからないのも、いたけどな。全く、人のこと心配するならするで、もうちょい素直になれんのかアイツは」
「あはは……前よりマシだと思うよ、あれでも」
「ちょっとくらいは、な。…そのレジーと、ラーンさんも明日には帰るらしいぜ。ブルーもスマグに帰るような事言ってたな…」
「みたいだね。…きっと、レディアさんも帰っちゃうんじゃないかな」
「かもな…」
 弾んでいた会話が、ふと静まる。多分2人も…先程の私と似た様な心境になったのかもしれない。
 かといって……何か言葉をかけようにも、上手いそれが見つからず困っていると。スバノンが急に5,6歩駆けだし、勢い良く片手で天を突いた。
「―…俺は!」
「!? ど、どうしたのスバノン」
「俺は……この旅のこと。絶対に忘れないぜっ」
 くるりと振り向き、宣言する顔はいつもの彼で。およそ感傷めいたものの欠片もない、けれど簡素な言葉の中に沢山の「何か」が詰まっているのが良く解った。
「スバノン…そうだね……私も。私も忘れない!!」
 遊んでいる最中のような元気な声で、アスティも同意する。そのまま私へと目を向けると……何かを確認するかの瞳で、訊ねてきた。
「ね。エルフィンも……そうだよね?」
 ――― 確かに、忘れ得よう筈がない。
 本当に、色々な事があった。その中で、様々な事を学んだ。もし旅に出ていなかったら、こんなにも苦しく、哀しい事があるなどと知る事は無かったろう。…そしてまた、こんなにも愛しく、嬉しい繋がりがあるのだと言う事も。
 一度、気持ちを整理する様に目を閉じる。――――― きっと今抱える『傷』は、薄らぎはしても消え去る事はないのだろう。でも、自分には……沢山の、『癒し』となるものが、ある。
 ふと、伝説の勇者の事を想う。魔王をして「過去最強」と言わしめ、事実たった一人であの悪魔を倒した英雄。けれど…誰より強く築いた“絆”が、その身を滅ぼしてしまった青年を。
 自分は……きっと今でも、弱い。だけど、自分には多くの友が、故郷が、あの優しい聖樹が…常に傍に。心の中に、ある。それらはきっと伝説の勇者のものとは違った、強き力となるだろう。
 目を開ければ、いつもの笑顔がふたつ。返事は決まってるだろ?と言いたげに、ただにこやかに、そこにあって。
 私もまた、笑顔になって口を開いた。――― きっと今、自分は今までで一番、綺麗な微笑を浮かべている事だろう。



「―…もちろん。」








紡がれた言葉 はにかんだ笑顔
甘ったるい 午後の眠りのように
求めても 足りないの
満足できない もう十分なはずなのに

そっと静かに旅立つ 白銀の小舟に
哀しい涙は 乗っていなかった
掴めない つきかげに
憧れたままの あたしを残して

臆病な手の平 そっと重ね
あなたの腕の中 逝けるのなら
たとえ何を 失ったとしても…

こんなにも ねぇ
愛していること 分かっていたなら
その時は もっと
『大切』が あふれていたはずなのに


舟によせる風波 まばゆい月に
照らされた 2つの横顔さえ
夜明けを拒み このままでと
互いに願った あの時は確かに

紺碧の鏡が 映す未来
迎えるはずだった 幸福の日々
今ではただの 虚夢でしかなく…

こんなにも ねぇ
苦しい気持ち 感じていたなら
この場所で ずっと
『虚しさ』に 触れないでいられたのに


その手 その眼 その仕草
あなたしかいないと 思い込んでいた
いばらが2人 引き裂いても
すぐに癒して 歩き出せたら…

海面に 映された満月
豊潤を描いてる
手を伸ばせば 伸ばすほど遠のく
焦がれた あたしを残して


あの頃に還して ねぇ
たった2人 寄り添った時間(とき)
胸の奥に ぎゅっと繋ぎ止めて
決して 離さないよ

決して 忘れないよ…



『銀の小舟』
音楽素材サイト:魔王魂より


~ The End ~
Thank you for reading their story.

コンテントヘッダー

― 十一.決戦・逢魔が刻 ―

静かな潮風、上空には煌々と輝く月。
紺碧の鏡と化した海面が映し出す未来は、果たして……希望か絶望か…?
いずれにしても、もう後戻りはできない。小さいながらも頑強な船は、俺を確実に送り届けてくれるだろう ――――― アイツの待つ“海の神殿”へと。
甲板を踏みしめ、凪いだ暗い海面を見つめつつ思い出す。―…自分こそが、俺が仇敵と狙う『魔王』なのだと告げた時の、奴の表情を…。
確かに、アイツは正直、度が過ぎるくらいに強かった。剣技もだが魔法に至っては、おとぎ話でよく聞いた『精霊王』にだって勝てるんじゃないかって位、ずば抜けてた。それだけの実力があるならいっそ、ブルンの王都にでも行って仕官すればいいのに、と言ってやった事もあったが…堅苦しいのは苦手だと、その時はただそう言って笑っただけのアイツの真意が、あの告白を受けた時にやっと解った。
もし王都で『魔王』の力が暴走したら……ダメルの時以上の悲劇が展開される事は間違いない。大国ブルンの王都だ、それこそ万単位での死者が、一夜にして大地を埋め尽くすだろう。奴はその事態を恐れたから、あえて砂漠の田舎町に留まる事を選んでいたんだ。
そして、…それでも起こってしまった悲劇に多分、誰よりも胸を痛めていた。なのにアイツは、赤い…既に魔王になりかけた証の鮮紅色の瞳を向けて、俺に言ったんだ。「地上の、人間の敵として、何も迷わず俺を討て。それがおまえの……“勇者”の務めだ」って。
(海の神殿なら、例えどんな戦いになろうとも周囲に被害は及ばない。立地もだが、周囲には予め『人』として…『勇者の仲間』としての俺が全力で張り巡らせた結界がある。おまえは何も心配せずに、ただ全力で向かってくれば良いだけだよ)
「…ッ!! ――― その、何も迷わず心配せずってのが一番、難しいっつってんだよ、あのバカ!」
思わず甲板を力任せで蹴りつける。…ちょっと板が凹んだかもしれないが、まあ船が沈む程でもなし、いいだろう。
「大体お前は昔っから、人一倍優しくって気配り上手で、顔もいいもんだからやたらモテるし武勇も備えててなんか欠点ないのかコノヤローってくらいの完璧人間なくせして、こういう『時々、超でっかい迷惑ごとを持ち込む疫病神』てな所がめんどくせー奴だってんだよっ!…あ~、もうマジ一回、タコ殴りにでもしてやらねーと気が済まねぇ…」
それは当然、『魔王としてぶっ殺す』なんて意味じゃない。『親友としてぶん殴る』って事だ。
だが、――― 奴は言った、魔王として完全に目覚めたら“今のアイツ”はいなくなる、と。だから次に会う時は、きっともう俺のことも解らないと……本当に…そうなんだろうか?
あれだけ一緒に剣や魔法の修行をして、長い旅も共にしてきて、たぶん互いに互いと過ごした時間が他の誰より長いだろうのに。そんな十数年の記憶さえ、まるっきり吹き飛んじまうものなんだろうか…いくら魔王の魂が“人間を乗っ取って”転生するといっても、そうまで見事に全てを消し去れるもんなのか…?
「…もし、本当にそうでも ―――― それでも、俺は。ホントにこれを、迷わず……奴に突き立てることが、できるのか…?」
手に握るのは“伝説の槍”ヴァルキリア―。過去の英雄も使った逸品だと、精霊達に授かった時はそりゃもう、ただ嬉しかったものだが…。
「…いっそ、俺が……俺の方が、魔王に乗っ取られる役ならよかったのにな。なんで、お前だったんだよ…」
――― 喧嘩の1つもしなかった仲じゃない。むしろちょっとした喧嘩なら、まぁ俺が一方的に突っかかってただけって話もあるが、とにかく割とやってたし、どっちかって俺は、アイツが煙たい時期の方が長かった気がする。何せ、いくら修業を積んでも追いつける気がしない奴だったし、そのくせ卑屈なほどに謙虚で、しかもそれが鼻につかないときちゃ……ガキの頃から既に完成度の高すぎる人格と戦闘能力の持ち主だったアイツは、俺にとっちゃライバル心を煽りまくる、ある意味ではまさしく“敵”だった。
だが、一方では…本当の本心では、ずっと憧れてた。一緒に旅をするようになってからは更に、信頼は増した。背中を預けられるのはコイツしかいない、って本気でそう思ってきたし、それは多分、今でも変わっちゃいない。
俺は一体 ―――――― どうすればいいんだろう?
奴の言う通り、ただ何も考えずにこの槍を突き立て、『魔王を倒した英雄』になるべきなのか?…でもそれは、見方を変えたら……『英雄になる為に親友を殺した外道』になる…って事なんじゃ、ないだろうか…?
「―…ッ! ………?」
槍を握りしめた手に、何かが当たった気がして目を凝らす。
…月の光を受けて何かが、光っている。ふと思い当たって、片手を頬にやってみた。
「あれ……なんでだ?俺にはもう、こんなものは…」
そう、そんなはずがない。…涙なんて、ダメルが滅んだあの時に、流し尽くして枯れたはず。
……なのに今、指を濡らし、まだ頬を伝っていく水は何なんだろう?
思わず空を見上げれば、燦然と輝く、まばゆい月。昔ダメルを照らしていたのと同じはずの、その光は……けれど無慈悲に俺や海を照らすばかりで、応えてはくれなかった。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 甲板に出てみると、これが現か夢の続きか解らなくなる様な、静かな海面と輝く満月があった。
 殆ど揺れはないのだが、船縁に片手を置いて、微かな風を感じつつ一面の「紺碧の鏡」を見やってみる。――― あれ程の明るさと強さを誇った青年でも、この暗い海面に見たものは計り知れない“不安と迷い”だったのか。その事実に共感、と言うか感慨深いものを感じる……つい先程の夢が例の『特異な夢』で、それがあのエガオンの“記憶”だと、何故か今は確信があった。
 今ではもう、かなり前の事に思えるが…ボルティッシュの宿で視た夢の中では、彼は故郷の復興を願いながら親友と旅を続けていた。その口が語る「未来
はあくまで明るく、その予想図には当り前に親友の姿もあったのに……魔王を倒し、迎える筈だった幸せの日々が哀しい『虚夢』と化した時。或いは既に、その時に…あの銀髪の青年は一切の夢を見る事を止めたのだろうか?
 見上げる夜空に輝く月は、先刻の夢と同じく何も応えようとはしない。エガオンに関しても……今の私が抱えるものについても。その美しさは、今この時に於いてあまりに非情だった。
 ― ふと、ウムバで楽師さんが紡いでいた歌を思い出す。あの歌ならもしかして、多少は「何か」をくれるかも知れない…寝静まっている船室の方には届かぬ様気をつけつつ、口ずさんでみる。

海面に 映された満月
豊潤を描いてる
手を伸ばせば 伸ばすほど遠のく
焦がれた あたしを残して

あの頃に還して ねぇ
たった2人 寄り添った時間(とき)
胸の奥に ぎゅっと繋ぎ止めて
決して 離さないよ

「―― …綺麗な歌ね。ユグドの民謡?」
 突然かけられた声に吃驚して振り向くと、月光を受け輝く髪を揺らしつつ近づいてくるレディアさんと目が合った。そう大きな歌声にはならぬ様にしていた心算だったが…それとも単に、彼女も寝付かれずに起きてきただけなのだろうか。
「あなたが部屋から出て行く気配は感じてたのよね。で、少しは待っててみたけど戻らないから、様子見に来たんだけど……大丈夫?」
 言いながらごく近くで立ち止まったその姿は、アリアンで“紫玉”との呼び名を恣にするのが良く解る秀麗さだ。尤も、今の彼女の髪は月光の下にあるせいか、紫銀というより青銀に見えるが。
 私と同じように船縁に手を置きつつも、その視線は海面ではなくこちらに向けられている。ここで単純に「特に何でもない」と返しても納得はしてもらえなそうだし、そもそも心配から来る問いかけにそう答えるだけと言うのも失礼だろう。彼女には前に一度、遺跡でも夢の話をした事はあるし、今再び夢の詳細を伝えてみるのも良いかも知れない。違った視点からの意見が得られたら、それもまた何らかの糧にはなろう。
「なるほど…『夢の遣い手』の力って便利ね。でも…今この時、そんな夢を視るって言うのは…」
 レディアさんは、ほんの数瞬沈思した後、下を向き気味だった顔を上げ。
「エルフィンちゃん。あなた、何か隠してない?― あなたが魔王と戦うのを躊躇う様な理由は、ありはしても乗り越えてるから今、こうしている筈。なのに、迷いを助長するかの夢を視るのは…尚越えきれない“何か”を抱えてるんじゃ?」
 今は黒っぽく見える瞳は、強い力を秘めている。だが…そう言われても特段、内緒にしている様な話は魔王討伐に関してはなかったと思う。強いて言うなら、先日クロウの告げていた『魔王の真実』位だけれど……あれも恐らく、彼女程の洞察力があれば難なく気づくものだろう。
「――― あなたって、普段はおっとり構えてて、押しにも弱そうなのに……いざって時は妙に手強いと言うか頑なよね。攻略が難しいわ」
 少しの間、見つめ合う形になっていると…不意にレディアさんが、苦笑にも似た微笑を浮かべる。しかし ―― はて、自分はそんなに頑固な場面があっただろうか?
 戸惑いのまま見返すと、彼女もまたどこか困った風の顔色になっている。
「…以前、この船であなたから《皆の力を借りて“一緒に”戦いたい》って言われた時は、正直安心したわ。あぁ、この子ちゃんと解ってるなって……でも、少し離れてた間にどうやらまた、ちょっとずれちゃった感があるのよね。エルフィンちゃん ― あなた、私達の事を“守るべき対象”としてしか見てなくない?でもね、それは間違ってるわ」
 一旦言葉を切ったその表情はいつもの、もしくはそれ以上の冷たさが漂うものへと変わって。
「確かに『勇者』は特別な存在にしか与えられない称号で、実際それだけの力は備えてるけど、だからって勇者も人間である以上、ひとりの力じゃ限界はある。エガオン程ずば抜けてて、しかも仲間たる者が敵になってしまった特殊な例は別として…あなたには私達の、仲間の支えがあってこそ初めて、その前に希望の道が拓かれる。なのに、一段上に立ってただ私達を“守ってる”だけじゃ、魔王だの悪魔だのいう強大な敵になんて勝てないのよ

 その言葉で、やっと気づかされたかもしれない。――― 私はいつの間にか、また何かを守ろうとするだけの視点に陥っていたのだろうか。勿論、皆の事はずっと仲間だと思っているけれど…その意味の「深い部分」については、うっかり見落としていたのかも…。
 力強いが静かな口調で語り続ける中、レディアさんの瞳だけが多少柔らかい光を滲ませた。
「別にエルフィンちゃんを責めてる訳じゃないのよ?ただ、もうちょっと肩の力を抜いてほしいだけ。私達は確かにあなたを支えてるけど、あなただって常に私達を支えてる。互いが互いを支え合ってるからこそ、私達は最大限の力を発揮できる ――― その事だけ思い出して。そして、私達の“隣”に戻ってきてほしいだけなの」
 その口が閉ざされ、場を暫しの静寂が包み込む。…ふとレディアさんの手がのばされ、その指先がヴァルキリア―を軽く弾いた。その心中に、今どの様な思いが去来しての行動かは解らないが…或いは彼女も、エガオンについて何か思っている最中なのか。ヴァルキリア―は、更に過去の英雄も使った逸品らしいが ――― この槍は一体、どれ程の戦場と…“迷い”を見つめ続けてきたのだろう?そして、それらへの答えは果たして…如何なるものだったのだろう。
「…夢の中で、魔王はエガオンを“人間臭い”勇者だって言ってたそうだけど。私にとっては、エルフィンちゃんこそそう言う感じの勇者かな」
 急に言われた言葉に、少々驚く。自分とあの青年の共通点など、精霊に与えられた肩書以外にはないと思っていたが……大体、私はああまで強烈な個性は持っていないと思うのだけど。
「ん~、ほら…よく読む英雄譚とかの勇者ってさ、何の迷いもへったくれもなくスパスパ敵を切り刻んでいくだけで面白みがないのよね。ただ強さを誇示する感じに無双してて……でも、あなたの場合違うでしょ?事ある毎に思い悩むし、立ち止まったりちょっと間違ったり、仲間に振り回されるわやり込められるわ。見てて楽しいじゃない、いかにも“人間”で」
 ヴァルキリア―から視線をこちらへと向けた、その顔は…本当に楽しそうな表情になっている。と言うか…私はそこまで、彼女を面白がらせる程に色々と振り回されて見えるのだろうか…。
 ちょっぴり悲しいものを感じる気がしたが、レディアさんは小さく声をあげて笑った。
「いいじゃない、人間臭くて面白いからこそ私も、いつまでもこうして付いてきてるんだから。…私が自分から力を貸そうって思った人間なんて、実はリンちゃん以外じゃあなた位なのよね。そういう意味じゃ正に希少な存在よ?エルフィンちゃんて。だから、自信持ちなさい ――― あなたは紛れもなく“勇者”よ、エガオンとは違う力を備えた…ね。そして、その力で為そうとしている事は、きっと間違っちゃいない。だからもう、迷う必要はないわ

 ―…その目も表情も、今は大分優しい色を浮かべている。結局『魔王の真実』については説明しないままだったが、その点はもういいと言う事か、今のレディアさんから伝わってくるのはただ、仲間への気遣いと激励の意思だけだった。
 その事に深い感謝を覚えつつ……知らず、手中の槍を握りしめる。
 同じ様にこの槍を握っていた先代は、歴代の誰より強かったけれど。その強さが逆に、仲間を作るのを阻害する災いと化していたのかも知れない ――― あの人ならば誰の助けも必要あるまいと、会う者全てがそう思い込んでしまったとしても不思議ではない強さだったから。
 私は…勇者を名乗るには多分、未だ弱い。でも、その力不足を補って余りある「力」は充分、手に入れる事が出来た。彼女達と一緒ならきっと、あの精霊の警告夢をも打ち砕いて、皆で“明るい未来”の中に帰る事も出来るだろう。
 それはきっと、あの人の ――――― 魔王の願いでもある筈だ。
 明日の昼頃には、船は神殿のある島に着くだろう。少しでも身体は休めておこう、とレディアさんと共に船室へ戻る事にして歩き出す。…振り向いて、最後に見上げた満月は……先程までと違い、どこか温かな、癒しを感じさせる輝きでそこに在った。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 そこは何とも表現し難い、奇妙な空間だった。
 一見すればまるで夜空の中…なのだけど。宙にしてはやけにしっかりと柱が立ち、床も全く危なげなく存在している。上空にも下方にも、およそこれらを支えられそうな基盤は見当たらないのに、だ。そして……結構な距離を隔てて点在する床同士は、見かけには自在に行き来できそうだが、その間には何らかの障壁がある様で、どう頑張っても向こう岸には飛び移れない仕組みとなっていた。
「どんだけ面倒な世界だよ、ここ…パーンさん、引き篭りの素質有り過ぎだろ」
「いや……そうじゃなく。封じた魔物が外に出ない様にだろ?説明ちゃんと覚えておけよ」
 スバノンの愚痴に突っ込むブルーさんも、いい加減道を見失いつつあるように見える。フロア同士は、魔法陣と似た効果を持つらしき「転送ゲート」で繋がっているが…何分、数が多すぎるのだ。それぞれがどこへ通じるのか調べる間には、外の世界ではお目にかかれなかった強敵が次々と襲いかかって来る為、休憩を兼ねての地図作りなど出来そうにない状況である。
 これは確かに、あの絡繰りの言う通りだったか……道行きの中、ふとここへ潜入する前に出くわした機械体の言葉を思い出す。
「よぉ。今度は、追い返されない程度には育ってきたみたいだな」
 ―…前回生み出した“魔法力の橋”は、消える事無く同じ場所にあったけれど。そこには橋のみならず…何故か今回も待ち構えていた絡繰りへ、スバノンが腹立たしげに。
「お前ら、人に何度手間かけさせりゃ気が済むんだ?今度こそ決着付ける気はあるんだろーな?」
「無理に戦って殺されるよかマシだろが。…安心しな、魔王はこの先に居る。今度は逃げも隠れもしねぇよ…しっかり準備してたからなアイツも」
「…準備?」
「おうよ。お前らも、有り金全部使い切っちまうくらいの支度はしてから挑むんだな。この先にあるのは、魔王がその魔力で切り開いた“異次元”だ ――― 内部はちょいと楽しめる迷路仕立てでな。ま、そりゃ単にアイツが今まで封じてきた最強クラスの魔物どもが外に出ない為のもんだが。問題は…そいつらを倒しながらでなきゃ魔王の待ってる部屋まで辿り着けねぇってトコか」
「―― 地上に解き放つのが憚られる程のモンスター、それに負ける程度じゃまだ魔王の相手にはならないって訳ね。最後まで周到な辺り、恐れ入るわ」
「はは、鋭くて結構。んじゃまぁ、用意もいいなら頑張ってきな」
 レディアさんの指摘に、ただ笑って返すと何処かへ立ち去った機械人形……会う度思うが、一体何者なのだろう…。少なくとも当人が言う様に敵とは思えないし、それなりに情報も与えてはくれるが…妙に魔王側の事情に詳しいのも正体同様、気になる所だ。
「…あれ?あそこにあるのって、ゲートじゃなく魔法陣だよね…?」
 ―― アスティの声に、回想を止め前方に目をやれば確かに、そこには淡い光を放つ魔法陣があった。しかも、魔物で溢れる異世界に相応しからぬ、聖なる気配を宿したものだ。
「これは…かなり強力な、回復系の術式だな。もしかすると体力だけじゃなく、魔法力さえ回復してくれるかもしれない代物だ」
「それって……どう考えてもモンスターの為じゃないわよね。或いはこの先こそ、魔王の待つ部屋があるエリアかしら?」
「パーンさんの今までのやり口からすると、そんな感じだな。もしかして薬切れを起こしてるかもしれない俺たち用の魔法陣ってとこだろう…ここは有難く使っておこうか」
 ブルーさんの判断に誤りはなく、陣の中に立った途端、皆の体力・魔法力が全快する。そして、レディアさんの推測も間違ってはおらず、そこから然程歩かぬ内に、如何にも魔王が潜んでいそうな壮大な扉を持つ部屋が現れた。
 重々しい扉を開くと、転送ゲートが1つ。その先には随分長い廊下があり……そして。
「―…パーンさん…」
 広間、と言うよりホールとでも言うべき空間。そこへ入り込んだ途端、呼びかけとも独白ともつかぬ声量でアスティが呼んだ名の持ち主が…最奥の玉座に鎮座していた。
「また来てくれたんだね」
 近づく我々にそう声をかける魔王は、微かな笑みを浮かべている。以前とは異なり、それは演技でも何でもない、ただ普通に歓迎しているかのものだった。
「当たり前だ。まだ決着はついてないはずだぜ」
「前回の件については、エルフィンちゃんから聞いた。何も、あんな芝居を打たなくても普通に帰せばいいだけなのに、とは思ったが……どうだ?今度は、あんたの中にいると言う悪魔が目覚めたら、俺たちの命は危うそうに見えるか?」
 スバノン、ブルーさんがその笑顔にそれぞれ返すと ――― パーンさんの表情が厳しいものに変わった。単に笑みを引っ込めただけかもしれないが…何せ魔王と化した彼は、人間時と違い基本的に対峙する者を畏怖させる鬼気を放っているから。
「…以前の君達では、到底敵わなかったろうね。今は、少なくとも俺には勝てるだろう。だが…赤い悪魔には、今の君達でも勝てるかどうかは判らない」
「ふん、そういうのはやってみなくちゃわからないモンなんだぜ」
「…そうか…そうだな」
「その悪魔を倒せば、終結でしょ?やってみせるわ」
 スバノンに続きレディアさんも、簡素ながら言い切ってみせる。この2人は既に、いつ戦闘に入っても対処できる態勢だ。そんな彼らに、魔王が再び微笑を浮かべたが…。
「パーンさん……悪魔を倒せば終結なら、最初からその悪魔と私たちを戦わせればいいんじゃないですか?別にあなたが死ぬ必要はないと思うんです」
「って、おいアスティ。今更なにを…」
「精霊も言ってました、あなたは決して悪者じゃないって。なら余計に……できるなら、悪魔の方だけを倒したいんです。だって、あなたは ―――――

「…アスティちゃん。多分、それは出来ない相談よ」
 言い募るその腕を引き、レディアさんが彼女を下らせる。更に、魔王自身もレディアさんの言葉を継いでアスティの提案を却下した。
「残念だが、その人の言う通りだ。俺と赤い悪魔は、どうあがいても分離できない宿命だから。そして俺が倒れない限り…蛹の殻が破れない限り、赤い悪魔は出てこない。君の配慮は嬉しいが、俺を生かそうというのは赤い悪魔を生かすのと同義……それはつまり、世界に魔物が溢れ続けると言う事だ。だから、ここはどうあっても俺を倒してもらわないと困る。― ただ、」
 そこで立ち上がったパーンさんは、魔王の名に相応しい威圧的な魔力と……どこか純粋な、好敵手と相見えた際の高揚めいた気配を放ちつつ玉座から降りてきて。
「先程から……君達には、何か強いものを感じる。そんな君達と…本気で戦ってみたい。赤い悪魔を後に控えて、体力を消耗させるのは申し訳ないが ――― これが俺の最後だからね。死ぬ前に満足させてくれるか?」
「― ああ、まかせな!白熱の一戦を見せてやるよ!!」
 その言葉に、スバノンが意気盛んに応じ剣を構えた。残る顔ぶれも全員…今はアスティも、最早逃れ得ぬ事態を察し戦闘態勢を取っている。そんな我々に魔王が一瞬、親友にでも向けるかの晴れやかで楽しげな笑顔を見せた。
「ありがとう ――― ふふ…楽しみだ!」
 だが、次の瞬間……その全身から計り知れない魔法力が解放される。同時に、今まで相対した敵のそれとは比べ物にならぬ威力のダークホールが闇色の津波となって襲いかかってきた。



「…エルフィン、どうしたっ?怪我したわけでもないんだろ!?」
 戦闘開始直後は、それぞれでダークホールをかわす、或いは防御した影響で互いの位置がやや離れたが…今はほぼ付かず離れずで戦いが繰り広げられている。唯一…皆から少し離れた後方に構える、私以外は。
 スバノンの声が聞こえない訳ではないが…今は脳裏を去来する諸々の思いを整理する暇がほんの少し、欲しかった。

(勇者でも、たとえ魔王だったとしてもそれは関係ない。エルフィンがエルフィンなら、私はずっと一緒にいる)
(だから、エルフィンちゃん……アスティの事、頼んだよ)
 ―― あの兄妹の、無償の信頼に応える術とは…果たしてこの道で良いのだろうか?

「やっぱ萎縮しちまったかっ?…無理しなくていいっつったのに!」
「いや、あれは ― どちらといって大技前の集中って感じだ。なら俺たちがする事は、声かけより時間稼ぎだろう。っておい前見ろ前!!

 奇怪な色彩の“魔力の霧”がスバノンを襲う。注意もそこそこに風刃魔法を放ったブルーさんのお陰で周囲には広がらなかったが、どうやら毒霧だったらしいそれの為にスバノンは膝をついた。

(エルフィンがいなくたって、魔王の1人や2人、俺だけでばっちり倒してきてやるさっ)
(エルフィンちゃんも守るばかりじゃなくって…守られる側に立っても、いいからね)
 ―― ぶつかってばかりに見えて、その実仲の良い2人。
 それぞれのやり方で励ましてくれた、その気持ちに報いるのは…きっと今しかないだろう。

「アシッドボムに、ドレインまで…流石にかなり癖のある戦い方ね!魔力が強大な分、毒霧の威力も半端ないから気をつけてっ」
 すかさずキュアで治療するレディアさんに被せる様に、アスティもハイヒーリングで回復を図る。その背後からブルーさんがメテオを放つが、魔王もダークホールを放った為に相殺状態となり、届きはしたものの威力は普段より落ちた様だ。

(だから、自信持ちなさい ――― その力で為そうとしている事は、きっと間違っちゃいない)
 ―― 私の“力”とは、他でもない仲間そのもの。
 彼らを、こんな極限の戦いに巻き込んでしまった事を悔やみ、迷う部分もあったけど…。
 その迷いこそが間違いだと、支えてくれる仲間を信じ頼れと、教えてくれた彼女には感謝頻りだ。
 ――――― そして…。

「スバノン、リゼネイションかけたよっ。これでちょっとくらいは、ドレイン食らっても何とかなると思う!」
「おぉ、サンキュ!とりあえずエルフィン動くまで頑張らねーとなっ」
 一定時間、少しずつだが体力を回復し続ける特殊魔法だ。確かに近接攻撃しかないと言って良いスバノンには格好のドレイン対策だろう。…だが飛びかかった彼に襲い来る魔王の攻撃も中々に熾烈だ、あれではドレイン以前に一撃を食らうだけでかなりのダメージになってしまう。

(君はただ、地上の…人間の敵として、迷わず俺を討てばいい。それが……俺の唯一の望みだから)
 ―― 結局、再会してからただの一度も、まともに昔のお礼は言えなかった。
 それどころかこうして今、命の恩を仇で返そうとさえしている……けれど。
 これこそが唯一、あの人の望む“恩返し”だと言うのなら…。

 ―…これだけが、私があの人にしてあげられる、唯一の事なのだと言うのなら…!

 視界の大半を、青い血煙が埋め尽くした。
 一閃後すかさず移行したエントラップメントは、ドレインを使う暇も与えずに魔王を弾き飛ばす。更にラピッドスティングの連打と、今までにない動きは自分でも驚く速度で行われる。
「な、なんだありゃ??レディアさん、ヘイストかけてたっけ?」
「いや、私もブルーさんもそれはまだの筈…て言うか、何だか攻撃威力も今までと桁違いな気がする。一体なぜ、あんな…」
「まさか…武術の奥義・インフレーションか?この土壇場でそんな力に目覚めるなんて…エルフィンちゃんも、さすがは勇者と言うべきか」
 ― 動きは恐らく、クロウに貰ったユニコーンの腕輪のお陰だろう。しかし、インフレーション…攻撃力を跳ね上げ、他のステータスも底上げできる奥義は、自分では使った覚えも、修得した記憶もない。或いはそれも、ヴァルキリア―の恩恵か…?
「感心してる場合じゃないよっ。皆でエルフィンの援護しないと!」
 考えつつも身体は勝手に、次々と大技を繰り出していく。そして…先程のスバノン達の会話も、今のアスティの叫びやその手に神聖魔法の光が生まれている事さえ、攻撃の最中だと言うのに妙に落ち着いて見聞できる。これは、インフレーションの副産物…?
 戦闘直前の、心の整理は ――― いつの間にか私を、奥義へと導いていたのかも知れない。
 反撃に移ろうとする魔王の、繰り出すであろう魔法の見分けさえつく状態は正直、我ながら違和感を覚える程だったけれど。仲間を危険から守るのにこれ程有難い能力もないだろう ――― 皆へアシッドボムへの注意を呼びかけつつ自らも大きく飛び退る。間髪入れずに、ブルーさんと共に風刃魔法で迫る毒霧を一気に吹き飛ばし、直後アスティとレディアさんがルインズとサークルブレイズで追撃を図った。更にスバノンがシャープを繰り出し…そこを狙おうとした魔王のドレインを封じるべく再度、エントラップメントで動きを妨害する。
 そこからは、お互いが大した呼びかけもせぬままに見事な連携が成り立っていった。無論、これまでの旅でも戦闘時の動きは皆スムーズだったが、今くらい「精霊も認めた連帯力」が発揮された時はなかったように思う。
 そして ――― ブルーさんのヘイストでスバノンがパラレルを撃ち込んだ、その直後に。
 ドレイン封じのスピンアライジング、そこから繰り出したエントラップメントが……その槍先が、確かな“止めの感触”を手に伝えてきた時、急に周囲の時の流れが通常のそれに戻った。否、寧ろ…時が止まったかの錯覚さえ一瞬感じた。
 長い旅の中、何度となく魔物を屠ってきて、疾うに慣れきっている筈のその手応えは……まるで、初めて狩りの獲物の息の根を止めた時の様な、何とも言えぬ嫌な触感として伝わってきた。
 咄嗟、何か言おうとするも言葉は出ないまま、その場に立ち尽していると…衝撃に揺らいでいた瞳が焦点を取り戻し、魔王がどこか満足げな声音で告げる。
「―…見事だ ―――― 最後に、良い戦いが出来て嬉しかったよ」
 刀身を、柄を伝い青い血が床に滴る。同時に、軽く笑みの形に開かれた唇が小さく震え、その端からも青い液体が零れだした。
 が、そうした一切を気にも留めぬ風にヴァルキリア―を無造作に掴んだ魔王は、止める間もなく一気に槍を引き抜く。その動きに、身体が押され自然、彼から数歩後退りに離れる事になった。
 忽ち血の溢れ出してくる傷口を押さえつつ…魔王自身もふらつきながら私達と距離を取る。
「後は…君達に全て、任せよう。絶対に……負けないでくれよ…」
 と、そこでその身体が、糸の切れた操り人形の如く前のめりに倒れ込む。直後…。
 奇異にして醜悪な発声の、如何にも耳障りな咆哮が異界の空気を揺るがした。
 そこには既に魔王の姿はなく。魔獣なのか妖魔なのか、見方次第では竜の眷属にも…巨大な人型魔族とさえ思えてしまう、謎の異形体が出現していた。そう ――― いつか“魔王の意識”にて見せられた、悍ましい姿……赤い悪魔の巨躯が。
「コイツが“魔王の中の悪魔”ってヤツか。すげぇ強そうだが…やるしかねーな」
「うん ― 絶対に負けられない…!」
 再び剣を構えるスバノンの脇で、アスティも決意の強そうな表情を見せる。だが、そんな強い戦意をせせら笑うかの、大音量の咆哮が主を失った玉座の間に響き渡った。それは最早、質量さえ伴った……さながら攻撃魔法の様な威力を持っていた。
 切り刻まれこそしないものの、極大の風刃魔法でも食らったかの勢いで全員が、その咆哮に弾き飛ばされる。慌てて体勢を整えるも、見ればブルーさんの様子がおかしい。悪夢の直中にでもある様な、青ざめ茫然とした顔色で…呼びかけても答えがない。
「何だよ、まさかあんな声だけでビビったのか?」
「ちょっと違いそうよ。これってまさか…アスティちゃんっ、リカバリー唱えてあげて!」
 レディアさんの指示に、急いで唱えられた治療呪文は的確だったようで、立ち所にブルーさんの表情が元通りになる。口も利ける様になったらしく、早速今の事態を分析してくれた。
「あいつ……あの声…“恐怖の幻影”だ。これは、よほど精神を引き締めておかないと、いつ誰が幻覚による放心状態になるか分からないぞ?」
「やっぱり異常付加の、特殊攻撃なのね。見た所、魔力も魔王以上にありそうだし…厄介すぎるわ。皆、薬は出し惜しみなくすぐに使うのよ」
 そんな指令と共に、ヘイストを唱えるレディアさんだったが……そこに身の毛もよだつ『闇の気配』が流れ込んでくる。見やった先では悪魔の巨体、その下半身に当たるだろう箇所から生える蟲のそれにも似た足から、暗黒の魔法力が幾条もの視認できる闇色の蒸気と化して噴出していた。
「――― え、嘘っ?ヘイストが発動しない!?」
「いや…一旦発動した魔法が、強制解除されてる!あの蒸気に触れると、こっちの魔法が…たぶん補助魔法が、だろうが解除される感じだ」
 ブルーさんの解析通りだとしたら、大ごとだ。確かあの悪魔、動きもフォルス並みに素早かった筈……なのにこちらのヘイストは無効化されてしまうとしたら…。
 などと案じる暇もあらばこそ ――― 背筋の凍る殺気に、半ば以上は無意識でスピンアライジングを放つが、防御はし切れなかった。悪魔の手が持つ鋭い爪は、その1本1本が人の操る剣にも似た武器となるらしい…私のみならずアスティやレディアさんもその攻撃に斬り飛ばされ、しかも瞬く間に全身に嫌な痺れが広がっていく。急いでレストポーションを使い事無きは得たが…単なる物理攻撃ですら確実に毒を与えてくるらしい敵に、改めてその厄介さを痛感させられる。
「こうなったら、俺とレディアさんでまめにヘイストをかけ続けるしかないな……その間にスバノンが攻撃、アスティちゃんは回復と、可能なら攻撃魔法か。エルフィンちゃんには今一度、インフレーションでの肉体活性化を図ってもらった方が良い」
「じゃ、まずは時間稼ぎがメインってとこね。私達も補助の合間に攻撃魔法も使っていきましょ」
「了解っ。んじゃまず、ヘイスト維持の方頼んだぜ!」
 その方針に則りスバノンが、パラレルを撃ち込むべく巨躯へ飛びかかる。ところが ――― ヘイストが無くとも身のこなしは優れている筈の彼が、恰も透明な鉄板で叩きのめされた如くに、苦鳴と共に跳ね飛ばされ我々から更に後方へと墜落した。
 直後、残る面々にも次々と途方も無い衝撃が襲い来る。まるでスバノンが我々に向かって剣技を繰り出したかの……あの悪魔、まさかパラレルも使えるのだろうか?
「違う、これは ――― あいつの周辺に水壁が出来てるっ。あれが多分、物理反射の役を果たしてるんだわ…アスティちゃん、全体回復お願い!」
「ファウンテンバリアだって?そんなの、スマグでさえ秘術扱いの特殊魔法だぞ!?」
 流石に、術の正体まで解るのはブルーさん位の様だが、今はそれに驚嘆している場合でもない。
 レディアさんの指示も遅いとばかりに再び「恐怖の幻影」を放って来た悪魔は、間など全く置かずライトニングサンダーを多重詠唱してきたからだ。精神防御に集中すると雷撃への対処がどうしても常よりは疎かになり……アスティのパーティハイヒーリングさえ、連発しても足らない程のダメージを全員が食らってしまう。
「くそっどーすんだアレ…物理反射って事は、俺やエルフィンの攻撃は通じねぇじゃんか。それどころか逆にこっちが大ダメージだぞ?」
「いや、ファウンテンバリアには“持続時間が短い”と言う欠点があるんだ。いくら魔法力の化け物と言えるあの悪魔だって、そう長い事バリアの維持は出来ない筈…エルフィンちゃん。負担が増えて悪いが、スバノンを回復しながらインフレーションを発動させてくれないか?その間はこっちの3人で、魔法でどうにか攻めたてておくっ」
 私の頷きを見たのかどうか ――― 即座にメテオの態勢に入ったブルーさんに、だがまた雷撃が襲いかかった。そこに、自らはマジックバリアで防御が叶っているレディアさんが庇い立てに入るが…やはり相手の魔力が強烈過ぎて難しいようだ。しかしアスティの回復もかなり素早く機能している為、受けたダメージも幸いすぐ軽減されているらしい。
 ―…そんな光景を見つめつつ、ハイヒーリングで自分とスバノンの回復を図るが…このままでは、あの「精霊の警告夢」同様の事態に陥りかねない惨状だ。あのバリアが解除されたら直ちに、何としても自分が悪魔に大打撃を与えねば…そして“暗き未来”など打ち払わねば。
 歯噛み状態の私の耳に……ふと、スバノンの声が届く。
「落ち着けよ、エルフィン。― 攻撃も回復も、お前だけが担うもんじゃねーだろ。それもこれも…この戦いの結末だって全部、俺たち皆が背負うべき“荷物”だろうが」
 ――― 攻撃手段を封じられて苛立っているのは、彼とて同じだろうに。思いがけぬ相手に諭され、多少気恥ずかしさを覚えると共に…上っていた血が冷え、戦局を落ち着いて判断する余裕が取り戻される。感謝の笑顔を彼に向けた、その時 ― 悪魔の周辺から水壁が消失した。
「よっしゃ、行くぞ!次のバリア張るゆとりなんぞ、与えねーからなっ!」
 すかさず飛び出したスバノンに続くべく、精神を集中させる。…総ての力を、この聖槍に……その真威が如何なく発揮される事を祈って“気”を高め、思い切り地を蹴った。
 スバノンはヘイストの、私は加えて腕輪の恩恵を充分に受け、赤い悪魔を矢継ぎ早に攻め立てる。合間には上手く背後からの、メテオやダークホール、ルインズといった魔法が援護として撃ち込まれ…情勢は一気にこちらが有利。かと思われたが…。
「―…な!?何だこれっ…?」
 突如、悪魔が身を捩ったかと思うと、その体表を覆う鱗めいた組織が目まぐるしく色彩を変える。それに呼応するかの様に、何本もの足から吹き出す暗黒魔力が勢いを増し……驚きの声を上げたスバノンと並んで、地に降り立ったその途端。
 醜怪な咆哮を上げつつ悪魔の放った、極大の闇魔法かと思える程の衝撃波は、耐え切ったと感じた直後にその脅威を露わにした。かなりの広さを誇る筈の空間が、あっという間に毒々しい瘴気に満たされてしまったのだ。劇薬の海に放り込まれたかの苦痛、呼吸さえままならぬ状況に全員が立っていられなくなってしまう。
「くっ……これじゃ、幾らキュアやリカバリーを使っても切りがないわ。いっそアスティちゃんの神聖魔法で ―――――

「それもきついぞ、多分。こうまで穢された空気を浄化するなんて…熟練の神官でも十数名は集まらなきゃ無理だろう」
 だが、ブルーさんの否定的な意見を押しのけるかの気配がその傍らで立ち昇った。
「…そんなの ――― やってみなくちゃ、解らないよ!」
「お、おいアスティ!?そんな威力の魔法、反動が半端ないんじゃねーのかっ?」
「薬もだけど、魔法だって出し惜しみしてる場合じゃないでしょっ。大丈夫…私が限界超えて倒れたって、まだみんなが残ってるんだから…!!」
 その魔法力の塊が内包する力は、先日のクロウ戦をも軽く凌いでいるかも知れない。日頃の、甘えん坊でのほほんとした感じの彼女からは想像もつかない強い意志が、その姿からは感じられた。
 勝機と見たか、なだれ込む様にディレイクラッシュとライトニングサンダーで襲いかかってくる赤い悪魔へ……立ち向かうアスティの放ったホーリーは、巨影を大きく後退させるのみならず結構な打撃を与え、更に場の空気を一気に浄化さえしてのけた。その好機をすかさず捉えたレディアさんのキュア連発と、私とブルーさんの回復魔法が全員の治療を即効で終える。しかし ――― 形勢を立て直した代償も大きく、体力自体は回復した筈のアスティは一人、頽れた状態で立ち上がれなくなってしまったようだった。
「アスティ!…っくそ、あのボケ悪魔許さねぇ!」
「彼女は私が見てる、ついでに回復と補助も担当するから……皆は武器と魔法で畳みかけてっ!」
 言いつつも一度、かなりの威力のダークホールを放ったレディアさんが、その足でアスティに駆け寄り彼女を抱えて大きめに後退する。位置は離れたが、レディアさんの腕前ならその魔法は難なく我々にまで届くであろう。
 2人の安全を確保する為にも…この有利な情勢を絶対、勝利へと導かねば。
 一先に飛び出したスバノンのパラレルとサザンクロスの後に、ブルーさんのメテオとアースクエイクが続く。赤い悪魔の頭頂部付近へ再度、ファウンテンバリアのものと思しき魔力が凝りかけたが…それを制して撃ち込んだエントラップメントは悪魔の片目を上手い具合に傷つけた。
 息つく暇も惜しんでマルチプルやエントラップメントで猛攻を仕かける。周囲ではスバノンの剣も、ブルーさんの魔法も良いタイミングで追撃を与え続け、疲労を感じ出す頃にはそれを見計らったかの回復呪文が遠くから飛んでくる。これだけの連携が機能していれば、必ずや ―――― その予感は決してただの希望的観測ではなかった。
 その証に、まずは…スバノンの剣先が、狙いを定めていたらしい悪魔の右肩に渾身の一撃を見舞い、直後青黒い液体と共にその醜悪な腕がもげ落ちた。飛び散った血はそれ自体が猛毒であるらしく、一部を浴びたスバノンが苦しげな表情となって膝をついたが、その頭上に強烈な火炎魔法が飛んできて悪魔の傷口を焼き焦がし、結果として出血を止める。お陰でこれ以上毒血を浴びずに済む事となったスバノンへ治癒の魔法力が降り注いだ。― リカバリーの物と気づき、視線だけ背後に向けると未だ膝立ちだが、アスティが続けてルインズを放つ態勢になっている所だった。隣ではレディアさんも闇魔法を凝らせ始めている。今の火炎魔法も恐らく彼女のものだろう……無事回復できた親友の姿に安堵しつつ、今一度の気合を込めてラピッドスティングを悪魔の胴へと叩き込む。
 開いた傷へ狙い澄ませたかの、ブルーさんのストームカッティングが炸裂し、そこで赤い悪魔の上げる声が初めて、特殊攻撃でも威嚇でもない悲鳴と化した。毒血対策にフロストタワーを唱え、ざっくり開いた傷を氷で覆い尽くす。飛び退った所へルインズと…闇魔法の最上級呪文・メガホールが同時に巨躯へと着弾し、更にメテオが降り注いだ。その灼熱の隕石が止んだ時…。
 これが最後、直感的に思いながら繰り出したエントラップメントは、自分でも驚く3回連打で赤い悪魔の喉笛を…見間違いなく、確かに…かき切った。
 大きく後ろへと逃げ飛んだが、間に合わず浴びた血の影響はしかし、すぐ誰かが振りかけてくれた薬のお陰で打ち消され。皆で敵の動向を見守る中 ―――― 半ば声にならぬ咆哮は、どうやらこの凶悪な敵の断末魔であったらしい。その身が不意に、強い酸でも浴びせられた様に溶け崩れ出す。見る間に輪郭が崩れてゆき…やがて、あれ程の巨体が嘘の様に中空へと霞み消えていった。
「―…パーンさん!」
 唐突に、アスティが声を上げる。その視線を追うと……悪魔の残した残滓たる瘴気の霧の中、確かにパーンさんの倒れ伏した姿があった。どういう訳か…かつての、人間の姿で。
「パーンさん!…しっかりしてっ」
 微弱な神聖魔法を、攻撃性を持たせずに放って瘴気を浄化し駆け寄ったアスティだが…呼びかけにも、揺り動かす手にも一切、反応はない。
「アスティちゃん…私達は、魔王を倒したの。だから…パーンさんはもう…」
「いや!魔王を、悪魔を倒せば消えるのはモンスターでしょ?でもほら、パーンさんは消えてない…だったら助ける事だって ―――――

 レディアさんが、流石に遠慮がちに告げるが…もう力も殆ど残っていない筈なのに、アスティはフルヒーリングらしい魔法力を手に集わせ始めた。
 けれど ――― その手の下で何の前触れもなく、パーンさんの身体が夢幻の如く消え去ってしまう。
「あ…」
「―…まあ、こうなるだろうな。パーンさんの魂は、魔王に取り込まれて消えてる筈だ。と言う事は、今残って見えていたのは、いわば抜け殻…どの道救いようはなかったよ」
 呆然と、凝った魔力を散らせつつ固まってしまうアスティに、慰めるかの声音でブルーさんが説明した。―…本当はパーンさん自身が魔王だったのだけど、それは今更告げる事でもあるまい。いずれにせよ、その魂をもう一度あの体へ呼び戻す事は不可能だった筈だから……きっと魔王の魂は今頃、次の転生へ向けて眠りについているだろう。ずっと赤い悪魔に苛まれ続ける彼の…今だけが恐らく、安らかに休める時なのだ。
「アスティちゃん。私達は…これで正しいはずよ。間違っちゃいないわ」
「そうだな。これで……俺たちのやるべきことは終わった」
 無言で床を見下ろしたままの彼女に、レディアさんとブルーさんが声をかけるが…今までは意外と立ち直りが早かったアスティが、およそ顔を上げようとしない。夏空色の瞳には、流す程の量ではないにせよ…涙の膜がかかっている様だった。
 ――― 釣られてしまう訳にはいかない。彼女と違い、私に泣く資格はないだろうから。
 リンさんに託された大事な妹を、こんな苛烈な戦いと哀しい結末に巻き込み……その償いの仕方さえ思いつかない自分には。きっと、この重苦しい結果を静かに受け止め、耐え忍ぶ以外に赦される道はないだろう…。
「…帰ろう。もうココに用はないんだ」
 スバノンも、珍しく悄然とした表情で…しかし励ます様に強めな口調で、声をかける。それに、やっと視線を上げたアスティが頷き、未だ無言ではあったが立ち上がった。
 まるで肉親の葬儀を済ませた直後の遺族の様な面持ちで、皆が帰り道へ向かおうとした時…。
「よくやったなあ。魔王を倒すなんて」
 これ以上場違いなものもあるまい、と思える程の明るい声がどこからともなく聞こえてきた。
 何事かと視線を巡らすと…あの絡繰り人形が、どうやって辿り着いたものか通路の向こうから、玉座の間へと入ってくるところだった。今までは常に神殿の中、同じ場所で我々を待ち構えていたこの機械が何故、こんな所まで?
「何なんだテメーは…おい、ポンコツ野郎。今ふざけたこと言ったらマジで許さねえぞ」
 まぁ現状仕方あるまいが…剣呑な雰囲気を隠しもしないスバノンへ、全く意に介さぬ様子の絡繰りはマイペースに会話を続ける。
「ふざけた事…?それは違うね。今、お前らは魔王を倒した。この世の中からモンスターは消えた」
「…何が言いたいんだ?」
「モンスターは確かに消えたが、後1つ消えるもんがあるんだなコレが。― この空間は、魔王が切り開いた異次元。だが、その魔王が死んだ今…この空間は、もうすぐ閉鎖する。自然消滅だな」
 問い質すブルーさんに返された答えは…何とも間延びした口調とは裏腹に、とんでもない事態を告げていた。
「えっ?…じゃ早く抜け出さないと、私達この異空間に放り出されたままになっちゃうじゃないの」
「そういうこった。早く抜け出さないと、閉じ込められちまうぜ。ココにゃ食料とかもないし、出口が閉じたら最後フツーに餓死だな」
「そう言う話は、そんな呑気に笑いながら言うんじゃねぇ!!…お前に言われなくても、すぐ帰るさ。行こう、エルフィン。皆も急ごうぜっ」
 レディアさんの驚愕顔は、これで結構貴重な代物だが…そんな話をしている場合でもない。機械体へきっちり突っ込みは忘れないスバノンは流石と言うべきか ― ともあれ、全員が急いで身支度を整える。異空間の出口は海の神殿の最下層に繋がっているが、何しろここまでの道のりは相当長かったのだ、時間との戦いになりそうな帰り道は多分、全力疾走でのものになる。魔法力はもう戦闘が起こり得ないから良いとして、体力は万全まで回復させておかないと途中でばててしまうだろう。特にアスティは一度、大魔法の反動で倒れているから尚更だ。
「準備はいいか?だったらほら、さっさと行きな」
「それはそうだけど…あなたは逃げないの?魔王が死んでも消えずに残ってるって事は魔物の仲間じゃないんだろうし、だったら幾ら機械でも、異空間に放り出されて無事ってこともないでしょうに。…と言うか、大体あなたは…いったい何者なの?正体を教えて」
 レディアさんが投げかける問いと疑念は、この緊急時といえ尤もだった。何のかの言っても、この絡繰りは我々の事を色々手助けしてくれたのだ、それを見捨てるような形で置いていくのも憚られると言うもの。それに…実際、その正体もかなり気になる。叶うなら、これが最後でもあるだろうし教えていって欲しい所だ。
 しかし、絡繰りは機械の特性を存分に活かした無表情ぶりでその問いを跳ね除ける。
「そんな事はどうでもいいだろ。好奇心も時と場合を選べっつの」
「だって、この先あなたに逢う事もなさそうじゃない。だったら…」
「いいから、早く行けよ。自分の命が惜しくないのか?」
「…解ったわよ。まったく、勿体ぶるんだから」
基本、謎を謎のまま放置はしておけないタイプらしいレディアさんでも、流石にこれには同意せざるを得ないのだろう。魔王の魔力がいつまで保つのか判らない以上、ここで時間を無駄に食う訳にもいかないのだから……それでも二呼吸ほどの間逡巡する風だったが、軽く頭を振ると廊下の向こうの転送ゲートの方へと小走りで進みだした。
スバノン、ブルーさんもそれに続き、私もアスティに続こうとした時 ―――――
何かが腕をつかんで動きを止める。振り返ると機械体の顔と視線が合った。
早く行け、と言いつつ何故、邪魔をするのだろう?疑問を抱きつつ、その顔の中心、恐らく目に当るのだろう赤い光を見返すと…。
「―…お前は、生きろよ」
 唐突な言葉に、戸惑う。一体、どういう意味なのか。
 困惑のまま何も返せずにいるのを察したか、彼は続きを語り出す。…とても絡繰りの発するものとは思えない、豊かな“人間の感情”が、その顔には……気配には確かに宿っていた。
「魔王の一番厄介な所はな、人の心を…魂を捕らえて離さなくなる場合があるって事だ。その存在に共感し、想い過ぎたまま不自然に……つまり天寿を全うしないで死んじまうと、その傍らから永遠に離れられなくなっちまう。いわば“永劫の虜囚”って奴さ ―――― 俺はまだ、友情が故だから何とかやってられてるが…お前の場合、更にシャレにならない事態に陥りそうだろ?」
 ――― 一瞬、息が止まるかと思った。…何故そんな事が解るのか、いやそもそも……彼は本当に何者なのか?そんな、何の伝承にも残っていない魔王の特性に詳しすぎる所から、魔王の側近かとも思ったが…それにしては、彼は魔王を倒すのに割と協力的だったし、これまたおかしい。
「まぁ、この特性ばかりはヤツにもどうにも出来ない“オート呪力”らしいからな……今となっては、俺はこの状態も悪くないと思ってるし。だが ――― お前には仲間も、故郷もあるだろう?そいつを大事にするこった。…俺の二の舞演じる奴なんて、要らないさ」
 こちらを見据える赤い光が、微かな色調の変化と共に瞬く。その色に…その言葉にどこか、不思議な情感が篭っている感じがして再び戸惑いが生じた。と同時に ― ふいに別の事に気づく。
 魔王との友情 ―…不自然な死……“仲間も故郷もない”存在。
 彼は ――――― この『人』は、まさか。
 思わず問い質そうとした、まさにその瞬間。腕の拘束が解かれ、同時に軽い ― 本当に僅かな力で、けれど明確な拒絶の意思を以て身体を押されてしまった。
「さ、もう行きな。…足止めして悪かったな」
「 ―…エルフィンっ?早くしないと、何かゲートの色が変になってきてるよ!」
 これまた絶妙なタイミングで、背後の方からアスティの声が響いてくる。…これはもう、諦めるしかないだろう。
 どうにも心残りではあったが……皆が待つ転送ゲートへと走り出しかけ、ほんの刹那『彼』を振り返り。後はもう意を決して、走り出した ――――― この異空間からの脱出のみを目指して。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

「遅いよ~エルフィン。間に合わないかと思ったじゃない」
「全くだ。せっかく魔王を倒したのに、ここに閉じ込められちゃかなわん…急いで脱出しよう」
 アスティに続けて、謝罪を受けるのももどかしい、と言う風にブルーさんが提案する。まぁ、現状からして全く以てごもっとも…なので、これ以上言葉は重ねない事にした。
「脱出はいいけどよ。お前、道なんて覚えてんの?」
「ふん…お前の単純・短絡・浮薄な頭と一緒にするな。ここに至るまでの道順くらい、きっちり覚えてきてるさ」
「おいっ!なんか、すげーバカにされてる感じが…ムカつくぞこのっ」
「はいはい、じゃれ合いは元の世界に帰ってからよっ。ブルーさん、先導宜しくね」
 ― この状況でも、普段と変わらぬ掛け合いが出来るスバノン達はいっそ大したものである。それをちゃっちゃと切り上げさせられるレディアさんも然り、だ。
 ブルーさんを先頭に走り出した空間は、だが既に時空の歪みがそこかしこに生じ始めているらしい ――― 先程までは確固たるものとして在った床や柱が、所々崩れていたり穴が開いていたり……酷い箇所では何と、柱の根元が消失しているのに上の部分はしっかりと立ったまま、という奇怪な現象が拝めたりもした。一方で、やって来た際に苦労させられたトラップの数々はほぼ無傷で残っていたりもして、思わず魔王に「自分が倒れた時は仕掛けたトラップも自動消滅する」仕組みにしておいてほしかった…などと苦情めいた感情を抱いてしまう。
 ―…そんな、正に“命がけのマラソン”の最中にあって、けれどどうしても思いを馳せずにいられない事があった。…あの絡繰り人形の発していた気配、である。
 無機物に過ぎぬ筈の身体、顔と呼んで良いものかさえ危ぶまれる造りの機械の頭部……なのに、下手な人間より余程はっきり感じ取れる…伝わってくる、その感情。
 最後の数瞬に感じ取れた、彼の放っていた空気を思い出した時 ―――― 何とも表現し難い感覚が意識中を支配していくのを覚えた。
(…俺の二の舞演じる奴なんて、要らないさ)
 そう言った時『彼』の口調は、まるで自嘲のそれだった。でも、その裏に ―…『彼』に自覚があるのか否かは判らないが、秘めやかな1つの感情が蠢いているのが見て取れた。――― 感じ取れてしまった、のだ。
 “永劫の虜囚”と成り果てた己が身の上を……歓ぶ心を。



「……もう少しだ、この先にある筈のゲートさえ潜れば海の神殿まで帰れる!」
 鋭い叫びはブルーさんのもので、それが、彷徨い続けていた思考を急激に現実へと引き戻してくれた。けれど……一度生じた「想い」は意外に根深く、脳裏のどこかに暫くの間、居座り続ける事となった。
 あの、銀髪の青年を ―――――― 伝説の勇者、その“真の顛末”を…羨む心が。
コンテントヘッダー

― 十.精霊の制約 ―

「―…一体どこに隠れてるんだ、あのバカはっ」
「もう、今まで行った町は全部探したよね~…どこかで行き違いになったかなぁ?」
 言葉通り、結構苛ついていそうなブルーさんに、アスティも疲労を隠せぬ表情で返している。それも無理からぬ話で…スマグで無事ブルーさんと合流後、アリアンからブルンに至るまで捜し歩いたにも拘らず、スバノンの姿がどこにも見当たらなかった為である。無論、スマグまでの道中でも寄れる町には立ち寄ったが結果は惨敗だ。
 この分だと、本当にお互いが町を移動していて行き違いになっているかも知れない。ブルーさんの様に「君たちなら探しに来てくれると思ってた」と、一つ所で待っていてくれれば助かるのだが…スバノンは良くも悪くも行動派だ。下手をすると船もないのに世界一周状態、かも…。
「ん~…困ったわね。どうしよう?」
「これは、あれかなぁ……迷った時の占い師さん。ブリッジに行って聞いてみよう」
「まあ、確かにあの人なら…結構手がかりになる事は言ってくれそうだな。行ってみるか」
 思案顔のレディアさんにアスティが提案し、炎の石探しの時の事を思い出したかブルーさんも、今度は否定的にならずに頷いてみせる。
「幸い船もあるから、陸路よりは短い日数でブリッジに着くだろう。…そこから、すぐ近くに潜んでると良いんだがな」
 別に隠れている訳ではないと思うが…あまりに見つからないスバノンに、募る苛立ちからそう表現する以外に思いつかないのだろうブルーさんを、下手に刺激しても可哀そうなので訂正はしないでおく。――― これは、勧誘を受けたあの時に『夢の遣い手』の修行を受けておくべきだったか…と今にして思ったが、例え修業していたとしても私があの占い師さん程に世の事象を見通せる様になるかは判らないし、あの時はリンさん探しが優先だったから仕方ない。
 積み荷をチェックし、水や食料だけ追加して…スバノンを求め、ブリッジへと出航するのだった。



 あいつなら、どこでサバイバルしててもおかしくない ―――― 再会時、スバノンの居場所の心当たりを問われた際のブルーさんの台詞が、よもや一種の予言になっていようとは思わなかった。
「確かにサバイバルと言うなら、ここはぴったりだけど…本当にいるかなぁ?」
「ここで駄目なら後はデフヒルズ砂漠位だからね。まぁ、占い師さんを信じましょ」
 不安そうなアスティに、レディアさんがそう返す。― 砂漠の中では、最早サバイバルどころかミイラの仲間になっていそうで怖いのでその可能性は考えたくはない。
かの占い師さん曰く、今回視えたものとは…「ダメル民を救うは北の幸、です。北の幸と言えば、ブルン北部の海で獲れる魚が有名ですわ」との事だった。いつもながら、その予言は微妙に解りにくい気もするが、ダメルというキーワードが明確に示された以上はそこへ行くよりあるまい、と船に飛び乗ってやってきたのがこの廃墟。もう1つの単語…“北の幸”も、ここへ来る途中に一応、大物を釣ってきてはあるが……はたしてこの後どうすれば?
「遺跡の入口探した時みたく、廃屋を覗き歩いてみる?」
「うーん。…あれじゃない?スバノンならきっと、匂いを嗅ぎ付けて出てくると思うから、ここで魚を焼いてみよう」
「レ、レディアさん……犬じゃないんだから、それはちょっと…」
 訊ねるアスティへ返された内容に、思わず彼女が突っ込みかけたが…恐らくレディアさんも、ブルーさん同様いい加減に疲労がたまって苛立っているのかも知れない。その辺を感じ取ったか、最後まで言う事はなく黙ったアスティの前で、レディアさんがこちらを見た。
「エルフィンちゃん。保存してある中で、一番大きそうな魚を出してくれる?」
 それへ頷くと、船から数匹持ってきた内、最も型が良く脂も乗っていそうな鮭を取り出して彼女へ渡す。釣り上げた魚は全部、私やブルーさんが氷結呪文で冷凍保存していたが、何分これでは氷が厚く普通の焚火では焼くどころか表面を溶かす事さえ難しそうだ。しかし、そこは火炎魔法が得意なレディアさん。やおら凍った鮭を上へと放り投げると豪快にグランドファイアを放ち、半分近く解凍され柔らかくなった魚が落ちてきた所を槍で刺し、今度は普通に焚火でそれを焼き始めた。
「―…ん?今、なにか聞こえた様な…」
 6~7分ほど経って、いい感じに煙が上がって来た頃…アスティが呟くとほぼ同時。
 遠くの方で、小さな砂嵐が発生したかの土煙が上がったかと思うと ―――― 結構な足音と共に、それが瞬時に近寄ってきて、驚く間もなくレディアさんの手から鮭が槍ごと奪われた。
「うおおぉぉぉっ!ひっさしぶりの食い物ぉぉ!!しかもコレ秋鮭じゃん、最高級品じゃんっ!!かぁーっ美味い、美味すぎるっ!!!」
「――― 本当に犬並みだったな、このバカ…」
「と言うか…それ以上に野生?」
 ブルーさんやレディアさんが呆れ返る中……まだ微妙に生焼けの部分もある鮭を瞬く間に平らげたスバノンは、こちらへ何だか後退りしたくなってしまう様な視線を向けてきた。
「や、もぉ腹減りすぎて気持ち悪かったんだ。…エルフィン。まだなんか食べるもの持ってたら、出してくれ」
「…スバノン…一気に食べるとお腹壊すよ」
 アスティの注意もおよそ耳に入らぬ様子のスバノンは、その目つきがはっきり言って少々怖い。うっかり出し惜しみすると私が骨にされそうな気がして、慌てて残りの魚を荷物から取り出した。
「て、コレ凍ってるじゃん…もっとこう、すぐ食えるもん持ってない?」
「―…はいはい。ちょっとだけ退いてなさい」
 もう呆れるのにも疲れた風のレディアさんが、取り返した槍でスバノンを下らせると、今度はサークルブレイズで一気に数匹の氷漬け秋鮭を焼き上げる。程なくこんがりと良い匂いに焼けたそれらを…スバノンは無言でひたすら食べ続けた。
「―― いやー助かったよ…。後2日も食べ物に巡り合えなかったら本気で餓死するトコだったぜ?餓死。やっぱり持つべきものは友情だねっ」
「それを言うなら“持つべきものは友達”じゃないのか…」
「お前はうっさいよ、ブルー。や~、絶妙な焼き加減で美味かったよレディアさん。その腕見込んで、俺と結婚しない?」
「…たかが魚数匹で釣れちゃう様な男は、悪いけど遠慮するわ…」
 待つ事暫し ――― もしかすると頭さえ残さないかも?と言う勢いで全ての鮭を食べ終えたスバノンは、大変満足そうな顔でそんな軽口を叩いている。それへ、すげない返事を投げるレディアさんの態度はもっともだが…彼女自身も食べ物で釣れちゃいそうな気配がある以上、何とはなしに、その断り文句には無理がある気がしなくもない。勿論、彼女には絶対内緒な感想だけど。
 それにしても…このダメルがスバノンに「因縁深き土地」とは思えないのだが、何故魔王はここに彼を転送したのだろう? ― 或いは魔王もまた、彼とエガオンが似ていると思っていたりしたのだろうか。そこまで考えた時……どうかあの青年は、鮭1匹で釣れてしまう人ではありません様に、と思わず天に向かって祈ってしまったのは、これもまた皆には秘密だ…。
「さて、それより。…みんな既に集まってるってことは、今度こそ魔王を倒しに行くんだろ?」
「うん。今度こそ頑張ろう。皆、あの時よりは強くなってると思うし、今度はいきなり追い返されたりしないと思う」
「ん?そりゃどういう意味だ?」
「詳しくは船に乗ってから話すよ。とにかく、まず一旦は身体を休められる町にでも行こう」
 満腹して頭も落ち着いたか、問うてくるスバノンへアスティが言うのを彼が不思議がるのは仕方ない。アスティ初め既に再会していた仲間には、パーンさんの思惑について説明してあるが、スバノンはまだ食欲を満たしたのみで何も聞いていないのだから。
「よっしゃ、やってやるぜ。ちょっと休んだら装備とか物資とか揃えて、海の神殿へ行くぞ!」
 元気よく宣言するスバノンに、やっと「物も言えない」状態から抜け出したらしきブルーさん達も頷いて応え、皆で船へと歩き始める。どこの町で宿を取ろうか、と道中相談すると…。
「物資補給はともかく、宿はユグドで取らない?リンちゃんに、全員揃ったって報告くらいしたいし、こう言っちゃなんだけど資金節約にもなるしね」
「まあ、ユグドは海路なら意外とダメルからも近いし、悪くはない選択だね。じゃ、そうしようか」
 レディアさんの案にまずはブルーさんが賛同し、アスティ達も異論はない風だったので、船の進路は自然ユグドへと決定した。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 最寄りの海岸で船を下りて約1日後、ユグドにて…。
「あれ?お母さん、お兄ちゃんは?」
 また久しぶりの再会となった娘を抱き締めて喜ぶ父の腕の中からアスティが訊ねると、彼女の母は何やら封筒を手にしつつ。
「それが、またふらっと出かけちゃってねぇ。でも今度は珍しく、こんな手紙を置いて行ったのよ。エルフィンちゃん宛みたいだから、渡しておくわね」
「エルフィンに?…む~、お兄ちゃん私の事は放っとくくせに…」
 少々、不機嫌そうな声になるアスティを宥めつつ、受け取った手紙を開いてみる。自然、皆も周りから覗き込んだが ―――― その内容は随分と意外なものだった。

エルフィンちゃんへ
大体の事は調べ終わったから、ちょっと『精霊王の冠』を取り返しに、
ビガプールまで行ってくるね。
ただ、あの王様じゃ僕ひとりの説得くらいで冠を手放しはしないだろうから、
エルフィンちゃんにも、少し手伝ってもらいたいんだ。
僕の調査によれば、ビガプール南方のネイダック洞窟、その最下層に
洞窟背後の険しい山脈、その山頂付近への抜け道になる地下道があって、
その先に『夢と精霊に護られし村』と伝えられるウムバって村があるんだ。
そう呼ばれるには勿論、理由があって…
その村にはかつて、あの精霊王の息子が住んでいたらしい。
そして今でも、ウムバには精霊王の息子に会う為の手段を知る人がいるみたいなんだ。
だからエルフィンちゃんには、その村へ行ってもらって手段を得た上で、
ぜひその息子の協力を得られるように彼を説得して来てほしい。
仮にも冠の正当な持ち主の子供……精霊王の息子が来たとなれば、
さすがのビガプール王でも冠を返さない訳にいかないだろうからね。
君がその息子を連れてきてくれるまで、僕は王都でのんびりしてるよ。
皆と一緒に頑張ってね♪
リンより(はぁと)  

「せ…精霊王の息子ぉ!?そんなモンがいるのか本気でっ?」
「と言うか、お兄ちゃん……“はぁと”って何なの、“はぁと”って…」
「あれ。ウムバって…私と会う前にエルフィンちゃんが転送されてた場所とか言ってなかった?」
 ――― ひと通り、文面に目を通し終えた頃には、場は騒然となってしまった…。スバノンの驚愕はもとより、アスティやレディアさんも着目点こそ違え手紙の内容にはかなり注目していそうだ。そう言えばウムバについては、まだ軽くしか説明していない上に、リンさんは私が既に一度そこに行っていた事は知らなかった筈。…それなのに、ここまで詳しく、ユグドに籠っていながら調査できるとは。彼の能力はやはり侮れないものがあるが、当面の問題はそこではない。
「ビガプールって…確かリンさんを捕縛する為に兵まで派遣してたんじゃなかったか?そんな所に、まして『精霊王の冠』を取り返しに行くだなんて、はっきりいって無茶にも程が…」
 そう。ブルーさんが指摘する通り、ビガプールは未だリンさんを追っている筈なのだ。にも拘らず、あの国王の下へ行こうなどとは、飛んで火にいる何とやら…である。
 しかしリンさんは、今までの言動を見る限り、無駄な動きはまずしない人なのも確かだ。と言う事は、敢えてビガプールへ行ったのにも理由はある筈……自らを、いわば人質状態に置いて私達の奮起を促す?いや…彼がそこまで、我々を信用していないとも思えないし思いたくもない。
「…どっちかって、その息子とやらの気を引く為とか?冠自体、精霊王の手から離れて地上の者達の管理下にあると言って良い状態なんだから、本来なら誰がそれを手に入れようと、精霊達は手を出さないんじゃないかな。そこを何とかしてもらう為に、貴方が出てこないと処刑されかねない哀れな人間が居るんです~…みたいな?」
 レディアさんの推測、その一部の不吉な単語にアスティが眉を曇らせる。だが、あの国王では実際、そんな暴挙にさえ出かねない。とてもではないが、リンさんが言う様に「のんびり過ごす」なんて出来ない相談だろう。
「とにかく、まずはビガプールへ行ってみようぜ。あそこのファランさんなら、何かリンさんの情報もくれそうだし、その山奥に行くにしても支度は整えないとだから、あの町で薬とか仕入れて出かける事にすればいい」
「そ、そうだね。またファランさんにお世話になっちゃうけど…仕方ないよね」
 スバノンの言にアスティも心配顔をやや平静に戻して頷いた。残る私達にしても異存はないので、早速出かけようとすると、流石に事が重大と見て取ったかのアスティのお母さんが。
「アスティ。何だか、かなり大変そうな話だけど……もし危ないと思ったら、リンの事は放っといてさっさと王都を出るのよ。あの子は一人でも結構何とかなるけど、お前の方は父さんも私も心配だからねぇ…気をつけなさい」
「お母さん…それはちょっと可哀そうだよ…」
 ―…ガディウス遺跡から戻った際もアスティが零していたが、この一家におけるリンさんの立場が何だか案じられる言葉だった…。やはり、あまりに「家出」しすぎるのが悪いのだろうか?まあ、ここは彼の“勘の良さ”による身の危険の回避度が高い故の、彼への信頼だと受け取っておこう…。
 お父さんの方も、また暫く帰って来なそうな娘を頻りに案じてはいたが、それはアスティがどうにか宥め、まずはリンさんの安否確認の為、皆でビガプールへと急ぐ事にした。



「…え?牢に入れられてない?それマジでか、ファランさん

 約2日後、ビガプールの王城前。門番の兵士に呼び出してもらったファランさんから聞かされた、リンさんの現状は……意外を通り越して信じ難いものだった。
 思わずといった風にスバノンが聞き返すのも無理はない。あの国王が、大切な秘宝である『精霊王の冠』を渡せと言ってきた人間を放置するとは思えないからだ。リンさんが今どんな目にあっているか想像するだに恐ろしいので、敢えてアスティをブルーさんと共に物資の仕入れ役として、町の商店街へ残してきた位なのに ――― 一体どういう事だろう?
「どうなってるのかは、私にもよく解らないけどね。あの青年、何やら不思議な羽衣を纏っているんだ…それのせいで、兵士は誰も手が出せない。王の命に従って彼を牢に入れようとか、拷問にかけようとかしようとすると、途端にその羽衣が彼を護るように兵士達を弾き飛ばしてしまう。ただ普通に会話したり、というなら何も起こらないんだが。そう言う訳で、彼は今、客室でちょっとした賓客扱いで滞在しているよ」
「…羽衣?リンちゃん、そんな魔法具持ってたかしら」
 首を捻るレディアさんの隣で、スバノンもやはり疑問顔だったが…何となくその正体は、解った気がした。以前、ユグドラシルの中で面会した風霊・マーホー。彼は別れ際、「冠の事は『金色の猫』に一任している」と言っていた ―――― リンさんは金髪のネコ耳青年だ。あの時にも何となく察しがついた気はしていたが、やはり風霊の指していたのは彼の事だったのだろう。
「そっか、そう言えばあの精霊、羽衣を身に付けてたわね。…つまりリンちゃんの行動って、精霊の依頼だったって事かしら?水臭いわねぇ、言ってくれれば手伝ったのに」
 レディアさんの言葉も友人としては当然だが……彼女は精霊達からすれば“勇者の仲間”。マーホーは、勇者のみがあれこれ問題を抱え過ぎるのも酷という物だ、と言っていたので、例え彼女がリンさんを手伝おうとしても彼自身か、風霊の方が断りを入れてきたかもしれない。
「けどさ、だったら何で精霊が自分で冠を取り返そうとしないんだ?わざわざリンさんを利用するなんて、それはそれで酷いじゃねーか」
「そこはほら、先日も言ったように、精霊って基本は人間界に不干渉っぽいじゃない。あの冠は確かに魔王退治には必要で、だからこそ奪い返しはしたいんだろうけど…その行動自体もあくまで、人間が行わないと精霊的には何かがまずいんじゃないの?まぁ、そこらはブルーさんの方が専門家だから、より詳しく解りそうだけど」
「魔王退治?…君たち、何だか凄い事に関わってそうだね」
 スバノンの問いにレディアさんが返していると、その内容に驚いたらしいファランさんが目を丸くした。その様子からすると、彼は国王とリンさんの交渉の場にはいなかったか、或いはまだリンさんが具体的に「冠を取り戻したい理由」を告げていない可能性もある。リンさん自身は、かつての調査結果から冠の利用法は知っている筈なので、本来ならそれを理由に返却を訴えても良さそうなものだが……尤もあの国王では、その事情でさえ冠を手放しはしなそうだ。
「まあ、ちょっと色々やってるもんで…ファランさん。また少し経ったらここに来るから、それまでリンさんの事よろしく頼むよ。話聞かせてくれてありがとう」
「ああ、私に出来る事は今回はあまりなさそうだが…。君たちも気をつけるんだよ」
 ひとまずリンさんの無事は確認できたので、スバノンと共にファランさんへお礼を述べると王城を後にする。こうなると次は、リンさんの頼み通りウムバまで行ってこなければ。あそこで話を聞けそうなのはチャッピーさん達だが、今回の場合は村長を訪ねるのも良いかも…歩きながらそんな相談をしていると、いつしか足は商店街へと踏み込んでいた。
「―…ん。なんかいい匂いだな」
「お菓子屋さんが近いのかしらね。何かが焼き上がった感じの美味しそうな匂い…ってスバノン。また食べ歩きに走っちゃ駄目よ、ここではアスティちゃん達と落ち合うだけなんだから」
「だ、大丈夫だって……そんな年中食い物に走ってないぞ?俺…」
 そう弁明はするものの、今の所食べ物に関する印象が一番強いのはスバノンだ。レディアさんの件は5人の中では私しか知らないとも言えるし、従って彼女に注意されても止むを得まい。
「お、アスティ達も丁度来たな ――― て。なんだありゃ?」
 彼女の更なる締め上げから逃れる為か、タイミングよく視界に入ったらしい人影へと注意を向けようとしたスバノンの声が…しかし途中から、本気で訝しむ様なものに変わる。そちらへ目をやると、アスティとブルーさんが一見、普通に歩いてくる所だった。だが…。
「あ、エルフィンっ。お兄ちゃんはどんな様子だった?ひどい事になってない?」
 まだ道の先の方にいたアスティは、こちらに気づくと同時、一気に駆け寄ってきて抱き付きながら聞いてくる。その心配を早く和らげてあげようとファランさんの言葉を伝えていると、後からやってきたブルーさんにスバノンが。
「お前、相変わらず人が見てねーとすぐアスティにちょっかい出すな……下手な事はしてないだろーな?場合によっちゃ延髄斬りじゃ済まねぇぞ」
「だから何でそうなるっ。今だって普通に戻って来ただけだろうが」
「子供の引率じゃあるまいし、なんで手つなぐ必要があるんだよっ」
 そう。珍しい事に、アスティ達は仲良し兄妹の如く手を繋いで歩いてきたのである。どちらと言って初めての事態かも知れないそれを、スバノンが追及するのは…「保護者」を自任する彼にすれば当然なのだろう。ところが、彼が心底驚くのはここからだった。
「ちょっとスバノン。ブルーさんいじめちゃ駄目だよ」
「別にいじめちゃいねーぞ。…ってアスティ。なんかお前、やけに強く言ってねぇ?」
 彼らが常日頃の喧嘩調になりかけた所に割り込んだアスティは、スバノンが指摘する通り、いつもとは違うてきぱきした庇い方だった。今までの、弱々しい弁護とは明らかに様子が異なる。
「だって、きちんと止めないとスバノン、またブルーさんに怪我させそうじゃない。そしたら私が困るんだから」
「あ~…ヒーリングの手間食うからか?でもそりゃ、エルフィンに任せとけば…」
「違うよ。単に、大事な人に怪我されたら困るの」
「……はい?今お前、なんつって…大事って、コレが??」
「うんっ♪何ていうか、もぉだーい好き♪って感じ?」
「 ―――――― …はあぁぁっ!!?」
 それは派手な、悲鳴にも似た声を上げたスバノンのみならず、レディアさんや私も一緒に、声にならぬ位驚愕した。一体いつの間に、アスティの彼への評価が急上昇したのだろう?
 たっぷり20秒程は凝固していたスバノンが、その傍で一人にこやかに立っていたブルーさんに掴みかかったのは……まあ仕方ないと言えるだろう。
「おいコラお前っ!一体こいつに何をした!?まさかついに、禁じ手の魅了魔法辺りを ―――――

「て、誰がそんな真似するか!もし仮にそんなもの使った所で、彼女自身かエルフィンちゃん辺りが気づくだろうがっ。これは普通に自然状態だ!」
「どこをどー見れば“普通”だ、コレが!!」
「ス、スバノンっ。いじめちゃ駄目って言ってるでしょぉ!?」
 ―…騒ぎの横でこっそり魔力探査を行ってみたが、確かにアスティに怪しい魔法がかかっている気配はない。呪術だとしても、何らかの形跡は残るのでその残滓位は感知できる筈だし、そもそもブルーさんが言う通り、アスティは神官系の魔法力が強いので異常付加の魔力には抵抗力があるし、そんなものが自分に降りかかってくればすぐに感知できるだろう。
「…調べても確かに、どこもおかしくはないわね。スバノン……ここは諦めた方が良さそうよ?」
 同じく探査の力を走らせていたらしいレディアさんも、そう結論付けてスバノンへ告げる。アスティも背後で頻りに止めるので、やっとブルーさんの喉元辺りから手を放した彼は、今度は死刑宣告を受けた小悪党並みの怯えきった蒼白顔で。
「レディアさん ―――― 俺、どーしよ…。こんなのリンさんにバレたら、殺されるかも…」
「ん~、まぁ……完全に当人の自由意思での選択なら、幾らリンちゃんでも、そこまで怒らないんじゃないの?ちょっとくらい皮肉は言われるかもだけど」
「いや、なんか絶対…あのニコニコ笑顔でサクッと、背中から剣刺されそーな気が…」
「ないない。せいぜい、食料なしでダメルに放置される位じゃない?」
「や、それも非常に困るんですけど…」
 文字通り頭を抱えて悩みまくっているスバノンだが、答えるレディアさんも未だこの事態に納得しきってはいない風。ひとり、彼らの困惑の理由が解っていなそうなアスティは、騒ぎが表面上は収まったからか再び私へと“甘えモード”を発動中だ。…この様子を見る限り、特に普段と変化はないのだが……つい頭を撫でるのを忘れがちになる手に、彼女が不審げな視線を向けた時。
「城の方も、とりあえず無事そうならそろそろ出発しないか?今は何事もなくったって、いつ国王側に動きがあるか判らないからな、早い所リンさんの依頼を済ませて来よう」
「―…だから何で、お前が仕切るんだお前が…」
 ブルーさんの言葉は正論だが、彼とアスティ以外の皆には正直、そっちよりこの大いなる謎を解きたい……との思いの方が強いだろう。けれど、リンさんの身を案じるなら一刻も早く、ウムバへ行かなければならないのもまた事実。故に結局は、パーティの過半数が悩みを抱えながら、ビガプールを後にしたのだが…この状態で依頼をクリアできるのかは甚だ疑問と言えた…。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 何だか、もう久しぶりな気のするウムバは、相変わらず空気が少々薄く…だけど緑の匂いが清々しい軽やかな風に満たされていた。
 どうしても通らねばならなかったトラン森は、今でも魔物の巣窟状態だったが、今回は仲間全てが揃っての道中だった為、以前ほど苦労する道とは思わなかった。皆、離れ離れになっていた間も安穏と過ごしていた訳ではなく、それなりの修行はしていたものらしく、スバノンとの再会時にアスティが言った様に、これなら海の神殿へ行っても再び魔王に追い返される事はなさそうだ。
 私の体験した事件については、この数日の旅の間に詳細は伝えていた為、いざウムバに到着しても皆がその閑散ぶりに驚く事はあまりなかったが……それでも自然と、村内を見回す目に普段とは違う色が宿るのは仕方ないかもしれない。
「おおっ、エルフィンじゃない!…何よ、そんなにこの村が恋しい?」
 まずは場所を知っているチャッピーさんのテントへ向かおうかと歩き始めた時、そんな声がかかる。見ると、キャンディさんが以前より明るさを取り戻した笑顔で手を振っていた。悪夢から解放された事でゆっくりと睡眠がとれるようになった故だろう、顔色もかなり良くなっている気がする。その傍へと近寄ると、彼女は煙草を持たない方の手で軽く私を抱き寄せた。
「何なら、この村で暮らしてもいいんだよ。あんたはここの救世主だからね、家の1つや2つ、すぐ村長が用意してくれるさ」
「あの~…それはちょっと困ります。エルフィンは私のなんで」
「ん?」
 キャンディさんに訴えるアスティは、何だか彼女に張りあう様に私の腕にしがみ付いている……その発言に一瞬きょとんとしたキャンディさんだったが。
「何だ、ずいぶん熱烈なファンがついてるねエルフィン。他にも仲間がいるし、あんた余所でも色々、人助けして歩いてるのかい?大変だねぇ」
 どこか面白そうな声音で言うや、その手が口元につい、と寄る。危ない、と思わず息を止めたが…今回煙が狙ったのはアスティだった。いつかの私同様、それは激しく咳き込んだ彼女に、キャンディさんが楽しそうに笑う。
「うぅ…エルフィン、この人なんかいぢめるよぉ~…」
「いじめちゃいないって。つつきがいのありそうな子だねー」
「――― あっ、エルフィン!元気にしてたかい?…ってキャンディ、またやってるの?」
 まだからかい足りなそうな目つきながら、ひとまず私からは離れたキャンディさんの後ろから、これも聞き覚えのある声がやってきた。すぐに近くまで来たチャッピーさんは、何やら小さな荷物を持っている。村内をお使い中だったのだろうか?
「うん、村長に頼まれてね。…そっか、もうすぐ村を訪ねて来る者がいるってエルフィンの事だったのかな。その者に、これが必要になるだろうって話だったけど」
「あの人も、やっと普通に寝られるようになって『夢の遣い手』の力が発揮できる様になったみたいね。丁度良いんじゃない?カブラスを倒した者にお礼がしたいって言ってたし、村長」
 そう言えば、あの村長も本来は先見の力があるのだった。ならば話は早いかも知れない ――― 早速、チャッピーさんと一緒にあの大きめのテントへ向かおうと、同行を申し出ようとすると。
「チャッピー、あんたもエルフィンに、この村で暮らすよう勧めてみないかい?…あんたの家でさ」
「な、何いきなり言ってるのさキャンディ」
「いや~、なんかそう言う展開になったら面白そうかなーってね」
 慌てた風のチャッピーさんに応えるキャンディさんの目は、しかし彼より寧ろこちら側を見ている。…どう見ても、未だアスティをからかっているとしか思えなかった。
「…お前、厄介な人のツボ刺激したぽいぞアスティ…」
「――― ふみゃ~…」
 スバノンの指摘に、がっくり項垂れてしまう彼女はひとまず置いておき……改めてチャッピーさん達へ仲間の全員を紹介してから、村長のテントへの案内をお願いする。快諾してくれた彼と、暇だからと一緒に行く事になったキャンディさんも含め、結構な人数で歩き始めた村の中は、以前と違って影がない分明るい気配に感じられた。人が少なくなってはいても、これなら意外に建て直しは順調に行くかも ― その空気に、何となくこちらまで心が軽くなる様な気がした。



「…そうか ――― 今度は“白銀のクロウ”に会おうと言うのか。あなたも大分、大変な運命を背負っている様だな」
 再会した村長は、訪問の目的を伝えるとやや顔を曇らせつつそう言った。それまでは、夢魔を倒した事への感謝の念を喜びに満ちた表情で口にしていたのだが…。
「…“白銀のクロウ”?」
「あなた方の言う、精霊王の息子の事だよ。彼はその外見から、そうした渾名がつけられたと言い伝えられている」
 問い返したレディアさんに、そんな説明が為されたが、今度はブルーさんが疑問を持った様に。
「でも、仮にも精霊王の息子ならかなりの上位精霊……最上級精霊かも知れないけど、そんな立場の精霊が名を知られているなんて変じゃないですか?上位精霊ってのは、普通は“人間に名を明かす”事は有り得ない筈なんですが…」
「或いはクロウ、の部分まで含めての二つ名…じゃない?本名は別にあるとか」
「いや…彼は『闇精霊』なのだ。それ故、その名は恐怖と ― そして過去のウムバの“罪”と共に、長きに亘りこの村に伝えられてきた」
 レディアさんが、ブルーさんの質問へ推測を投げかける途中で、村長が告げた言葉は…けれど私達を少なからず驚かせた。
「えっ……『闇精霊』って、あの精霊王の息子が!?だってそれって、彼らにとっての“禁忌”…他の命を奪う行為に走ったって事じゃ?何故そんな…」
「ん~、それだけの理由はもちろんあったって事だよ。あんまり良い話じゃない上、実は僕たちも詳しくは知らないけど…この昔話の詳細は、成人後に口伝されるってのが村のしきたりでね」
 ブルーさんが発した問いに、チャッピーさんが答えつつ村長の方を見る。その視線は、自分達がこのままここに居てもいいのか、と訊ねている風だ。キャンディさんは多分、もう成人しているだろうが、チャッピーさんは村の慣例からすればまだ話を聞くには早いと言う事だろう。だが村長は、彼の視線に緩やかに首を振って答えてみせた。
「今はこの村も、かつてない人口の減少に晒されている…よほど幼子であればともかく、君はもう大人として扱われてもいいだろう、チャッピー。さて、それでは旅の方々……長くはなるが昔語りを始めよう。これを聞けば、精霊王の息子に会う事の困難さが解るであろう」
 そう告げると、村長は静かに目を閉じる。自然と皆も口を閉ざして待つ中、彼は通りは良いながら物柔らかな、どこか沈鬱な色も混ざった声で語り出した。
「…数百年前、この一帯は山1つない広大な平野で、そこにネイダック公国と言う小国家が栄えていた。君主たるウムバ公を初め多くの『夢の遣い手』が居たこの国は、彼らの先見の力によって災害を上手く逃れ、小規模ながらに繁栄を極めたと言って良い国家だった。しかし、その力こそが、国を滅ぼすきっかけになろうとは流石の遣い手達にも視えない“未来”であった」

 ある時、この国の神殿に仕える巫女が子を産んだ。次の大神官にもなろうかと言う力ある巫女だったが、聖職の身で相手も解らぬ子を産んだ為に放逐される事となった。彼女自身は、その子は精霊王の子だと言い張って止まなかったが、周囲の誰もがその主張を信じる事はなかった。その赤子は確かに尋常ならざる魔法力を放出していたが、まるで新雪の如き白銀の髪と色白を通り越して青白い肌、大きくて尖った耳に冷気さえ感じる氷青色の瞳、何より髪に見え隠れする程度の小ささと言え鋭い角まで備えた姿は、到底偉大なる精霊王の子とは思えず、寧ろ魔性のそれとしか言い様がなかったからだ。
 しかし、事はただ彼女の追放だけでは終わらなかった。親子の姿が神殿から消えて半年ほど後、時の君主がとある悪夢を視た。その夢の中では、放逐した筈の子供が乳飲み子とは思えぬ形相で異様な魔力を振るい、首都はおろか公国の全てを破壊して歩いていた。君主・ウムバ公は代々の君主同様『夢の遣い手』であり、その夢は紛れもなく“未来視”のそれであると確信した為、慌ててかの親子を探すよう命を下した。そして、国に災いを齎す存在として連れて来られた赤子を処刑しようとした時……遠くで取り押さえられていた筈の元・巫女が、我が子を守ろうと刑場へ飛び込み、兵達の槍で子供の代わりに命を落とした。― それが「終わりの始まり」だった。
 母の死に様を目の当りにしたその赤子は突如、羽もないのに宙へと舞い上がるや無差別に攻撃魔法を放ち出した。それは大地属性のアースクエイク ――― しかも人間の魔道士では為し得ぬ規模と威力を誇っていた。見る間に首都は地割れの中へと沈み、周囲の町や集落も次々と、沈下しまたは突き上げる地面に翻弄され破滅していった。町跡や人々の骸をも飲み込みつつ不気味に育っていく大地の剣は、忽ち広大な平野を険しい山脈が支配する地へと造り替えてゆく。あまりに凄惨且つ異常な光景の中、ウムバ公は悟る…自らが視た悪夢、あれは「あの赤子を殺そうとしたが故に起こるもの」だったのだと。つまり、あの親子を下手に追い詰めさえしなければ、かの悪夢が現実化する事はなかったのだと。
 後悔に身を焼くも時既に遅し ――― その君主の眼前に突然、白い影が現れる。強大な魔法を操り続ける為、その反動から身を守ろうと自身の魔力にて5歳児ほどに急速成長を遂げた、あの子供だった。どこで手に入れたか、その手に握る剣が公の胸を貫いた、正にその瞬間…白銀の身体を抱え大きく飛び退ったのは、誰の目にもはっきり“神聖な存在”と解る長身の青年だった。
腕の中の子供と同じ白銀の長髪、過ぎる程に白い肌とそこだけは異なる大地の色の瞳、そして細く短いながら両耳の上にしっかり生えた銀色の角……そう。伝承には何故か欠けていたその角があって尚、聖なる身と解るその姿こそ、正真正銘・精霊王のものだったのだ。恐らくは「偉大にして神聖な存在」である彼に相応しからぬ、と考えた人間達が勝手に角の存在を彼の物語から消してしまったのだろう。この時になって初めて、かの巫女の言葉が真実だったと悟った人々は自分達の過ちを深く反省したが…そんな彼らを責めるより先にと、我が子を魔法で拘束しつつウムバ公へと駆け寄った精霊王は、だがすぐに哀しげな瞳で立ちあがった。剣先にまで溢れんばかりの魔力を流し込んでいた息子の一刺しは、ウムバ公を文字通り即死させていたのである。
 この件で、いや既に多くのネイダック国民を死に至らしめた息子は『闇精霊』に堕ちており、如何に彼の子供と言え精霊界へ連れて帰る事は叶わなくなっていた。精霊王は、息子に幾人かの精霊を世話役兼お目付役として付けるのみで地上に留め置くのを余儀なくされ、彼にその事や母を守れなかった事を詫びた。王によれば、その時彼はどうしても手の離せない「世界にとっての大切な仕事」があったらしいが、それに着手する前にかの巫女を安全な所へ匿うべきだったと、遅まきながら嘆き……次いで周囲にひれ伏していた生き残りの人々へと声をかけた。この地は既に人の住めるものではなくなったが、せめて生存者が暮らしていけるだけの土地と豊饒な森は作っていく、と。
 かくして新たに作られた、山脈のほぼ頂点近くの村を人々は、自分達の愚かさを忘れぬ様にとの自戒を込めて、かつての公国の君主の名・ウムバと名付け、想い人を殺されたにも拘らず生活の場を与えてくれた精霊王に感謝しつつ、山を下りずに細々と命を繋いでいく事となった。その気になれば、かつての首都の水道部が洞窟となって残っており、そこへ続く地下道も用意されてはいたのだが……水は山頂部でも十分に得られていたし、生存者達はここでの暮らしこそが「贖罪」との思いが強かったのかも知れない。やがて昔の栄光や罪の記憶も薄れてはいったものの…山を下りる、との意識だけはほぼ芽生える事のないまま、今のウムバ村の有り様が定着していった。

「その後、かの息子…“白銀のクロウ”は父やお付きの精霊達の説得が功を奏したか、人間へ暴力を振るう事はなくなったが、かといって人に好意的となる訳でもなく、ただ静かにこの山で暮らしていると言う。自らが生み出し、また父の力たる『大地の魔法力』に満ちた地でもあるこの山は居心地が良いのかも知れぬ…だがもし彼に会おうと言うなら、少々手荒い歓迎を受けるだろう」
 語り終えた村長は、目を開けると最後にそう忠告を加えた。そして小さな溜息と共に。
「―…この話は、単にウムバの“罪”を伝えるだけではない。全ての『夢の遣い手』への教訓でもあるのだよ…例え如何なる夢を視ようと、心乱す事無くその夢の“真意”を見出す。それが出来て初めて、その者は人々を導く預言者となり得る、とのね……遣い手の力はただの占いめいた予言ではない、神の力の一部を授かっての神秘な能力なのだから」
「…村長。もしかして、カブラスがこの村を襲ったのって、そのクロウって奴の仕向けた“復讐”?それだけウムバを嫌ってたら、そのくらいはやりそうだし」
 聞いていた皆の内、最初に沈黙を破ったのはキャンディさんだったが、彼女の推測に村長は首を振って否の返事を返した。
「今も言った様に、彼は既に精霊王の意向に従う姿勢になっている。それに数百年前の、出来たばかりの村ならともかく、今更この村に手を出す程の理由は彼にはないだろう。夢魔の襲来は、彼とは別に考えた方が良いかと思うよ」
「それにしても、とんでもない話だな…。そんな過去があったんじゃ、いくら親父さんの冠を取り戻す為といったって、俺たちに協力なんかしてくれるかなソイツ?」
 スバノンが困った顔で言うのへ、レディアさん達も同意と言う風に言葉に詰まっていたが…ややあってアスティが村長に視線を向ける。
「村長さん……私たち、どうしてもクロウって人を説得しないといけないんです。この村には、彼に会う手段を知ってる人がいるって聞いてきたんですが…村長さんがその人ですか?」
 彼女の言葉に、村長は軽く頷いた。そして、チャッピーさんが運んできた包みを引き寄せる。
「 ――― クロウはトラン森の奥深く…夢魔が拠点としていた山小屋とは反対側の最奥に、大地の精霊達に護られつつ住んでいると聞く。その護りを潜り抜けるのは、普通の武器や魔法では敵わぬ事……しかし、唯一これならば精霊達の力を緩める事が出来ると言われている」
 語りつつ、その手が包みを開けてゆき…取り出されたのは一見すると古びた普通の笛だった。しかし、その内からは、まるで『精霊王の冠』の様に微かながら不思議な力が漂い出ている。
「それって…まさか『ラビアの香笛』?こんな所に眠っていたなんて…」
「ほう。良く知っているね」
 レディアさんの驚嘆に、村長が感心したかの目を向ける。
「ラビアは、遥か昔に名を馳せた“史上最高の楽師” ―――― 彼女が奏でる音楽には人間はおろか、動物や昆虫、はては植物…精霊さえも心動かされ、彼女を愛さぬ者はなかったとか。そのラビアが特に好んで使用したとされるこの笛には、彼女の死後もその魂が宿り、誰が吹いても美しい音色を出すと言う。クロウの隠れ家である洞窟の入り口は、鋭い棘を蓄えた茨があまりに厚く覆っている上、それは精霊の生やしたもの故に刃も魔法も通じぬが…この笛の音色でなら、その茨を退けさせる事が叶うと伝えられている」
 そう言うと、彼はその笛を私へと差し出した。
「あなたの再訪を夢で視た時、同時にこの笛があなたの役に立つと感じた。その理由までは夢では視られなかったが…ともあれ楽師の所から、笛を借りてきておいて正解だった様だ。どうかご無事で、ウムバの救世主……あなたなら、クロウとも渡り合えると信じているよ」
 今回は戦闘ではなく、説得へ向かうのだが…或いは彼との面会は戦いに等しい位に困難なものだと告げたいのかも知れない村長へ、丁重にお礼を述べつつラビアの香笛を受け取る。チャッピーさんやキャンディさんも、心配そうな顔色ではあったが、それぞれ応援してくれた。
「君って、よっぽど大事を成し遂げようとしてるんだねエルフィン…気をつけてね」
「気合入れて頑張ってらっしゃい。…無事に用が済んだら、その笛返しに来るついでに、ここに家作っちゃいな。別荘扱いでもいいからさ…いつでも歓迎するわよ」
「キャンディさん……それは困りますって」
 最後まで、アスティをつつく事は忘れていなかったらしいその言葉に思わず苦笑する。結局またキャンディさんの「罠」に嵌っているアスティを強めに引っ張っての出発となってしまった…。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

「村長は否定してたけど…ある意味じゃ、夢魔とやらのウムバ襲撃はクロウと関わってるかもね」
 トラン森を、魔物を討ち払って進む中、レディアさんが何か考えながらの様に。
「クロウに会う事、それは精霊王に近づく事をも意味しかねない。魔物にとってそれは結構な痛手じゃないかしら?もし万が一、クロウが人間に協力的になったとしたら、下手な魔物じゃ安心してそこらをうろつけもしなくなる…だから、彼に会う手段を持っているウムバの人々を全滅させる事で、危険な芽は摘もうとしたんじゃないかな」
「だとしたら、とんだ災難だったな彼らも。『夢と精霊に護られし村』どころか、その2つに呪われし村って感じじゃないか…」
 彼女の推測に、ブルーさんが如何にも同情した風の声音で答える。残る面々にしても思いは似た様なものだったろう、どこかやり切れぬ感じの表情で道を行く。― やがて、ウムバの村長から教わった地点に辿り着くと、そこには話通り、無数の茨が複雑に絡み合って出来た「壁」があった。
「ん~…笛なんて吹いた事ないんだけど…音出るかしら?」
 首を捻ってはいたが、意を決した様にレディアさんが笛を構えた。如何にオールラウンダーといえ、楽器の演奏まで任せてしまうのは悪かったかもしれないが…私は彼女以上に心得がないし、アスティ達も同様だ。祈るような縋る視線を皆で向けた結果、彼女が笛の担当になったのだ。
 注目される中、やや緊張気味なレディアさんの手元から……綺麗な音が滑り出る。何の曲かは判らないがまとまった旋律が紡がれてゆき…暫くするとその音色に反応するかの如く、茨の蔓がうねうねと動き出した。次第に速まっていくその動きは、見る間に隠れていた奥の茨まで伝わっていき、レディアさんが笛から唇を離した頃には、そこに1つの洞窟が口を大きく開けていた。
「凄いじゃん、レディアさん。ちゃんと音楽になってたぜ」
「私じゃないよ…この笛が凄いんだわ。息を吹き込むだけで勝手に、音が鳴ってくれる…本当にラビアの魂が宿ってるのかもしれない」
「そこまで行くと、まるで魔法だな…。ま、とにかく入れるようになったし進もうぜ」
 素直に褒め称えたスバノンに、答えるレディアさんはかなり不思議そうな表情だ。自らに演奏している自覚がないなら、それも頷ける話だが…そんな彼女や、他の顔ぶれにも声をかけるとスバノンは真っ先に洞窟へ踏み込んでいく。
「そんな急がずとも、ちゃんと皆と一緒に行けよ。相手は聞く限りじゃかなり危なそうな奴だぞ?離れてると何かされた時、一人で餌食だからな」
「お前と違って、俺は不意討ちでも逃げられる自信はあるぞっ」
「…はいはい。敵前でまで、じゃれ合わないの」
 ブルーさんの忠告に、またいつもの調子になりそうな2人の背後から、レディアさんが素早く止めに入る。彼女の言葉だと、この2人も割とすぐ静かになるから大したものだ。
 そうして、全員でまとまった行進を続けていくと…。
「…何だろ。なにか聞こえない?」
 結構奥へ進んだ頃、ふいにアスティが訊いてくる。耳を澄ますと、確かに微かな…話し声の様なものが先の方から聞こえてくる気がする。更に歩を進めると、急に目の前に、大きな空間が現れた。そしてそこでは、幾つかの淡い光に包まれた人影が、僅かに宙へ浮かびつつ何かを口ずさんでいた。
「…精霊?」
 ブルーさんが自問のように呟く。確かに、よく見ればその影は羽を持っていたり何かの魔法力に包まれていたりと、人間ならぬ気配だ。そもそも浮いていると言う事自体、人離れしている。
 用心しながら、その影に近づいては見たものの…。
《魔王の魂は果てなき命  尽きる事を忘れし命》
《永劫、紅蓮の炎に焼かれ  求めし救いは一時の夢と散り》
《流離う間に間に得しものは  友の慟哭、己が悲嘆》
《其は永劫に流れる河  永劫、海へと届かぬ河》
《其は永遠に揺るがぬ氷  決して水へと還らぬ氷…》
 ――― そんな、呪文とも詩ともつかぬ言葉を紡ぎつつ、幾人もの精霊はそれぞれ一つ所に浮かんでいる。こちらを攻撃する気はない様だし、そもそも人が訪ねてきた事にさえ気づいていない風だ。
「…こいつら、何をしゃべってるんだ?」
 スバノンの問いに答えられる者はいない、かと思われたが。
「聞きゃ解るだろ。魔王の実情を教えてやってんだよ、お前らに。ま、既に知ってるかもだが

「――― 誰だっ!?」
「それもバカじゃねーのって感じだな。オレを探しに来たんじゃねぇのかよ」
 誰何と同時、視線を巡らせたスバノンが何かを発見したらしく、その顔がすぐにある方向で動きを止める。皆もそちらを注視すると…奥の壁際近く、転がる岩の1つに無造作に腰かける少年の姿があった。精霊達の淡い光に照らされて輝く白銀の髪、その間から僅かに覗く銀の角……先の言葉からしても、彼が我々の探している“白銀のクロウ”で間違いはないだろう。
「ご苦労さん。とりあえず、お前らは下がってろ」
 どこか不機嫌そうな顔と声音の少年は、そんな事を言うや指を鳴らす。すると今まで確かにそこにいた筈の精霊達が、瞬時に姿を消してしまった。後に残ったのは彼らが立っていた場所で変わらず灯り続ける光と、少々行儀の悪い姿勢で岩に座ったままのクロウのみ。
「ふん…お前らがこの時代の、魔王の使いっ走りか。言っとくが、オレはマーホー達みたくお前らを簡単にゃ認めねぇからな。ついでに親父みたく、頼まれりゃすぐ力を貸したりなんて事もしねーから期待すんじゃねぇぞ」
「 ― あの風霊たちを知ってるの?と言うか、何なの“使いっ走り”って」
「言葉のまんまだろ。勇者なんてのはな、お前ら人間をおだて上げてこき使う為の、態のいい呼び名に過ぎねーんだよ。その実は魔王の計略通りに赤い悪魔を殺すだけが役割の、奴からすりゃ可愛いピエロってトコだな」
 ――― その言い草には正直、かなり腹が立った。問いかけたレディアさんや、他の仲間にしても似た様な気持らしい表情だが…何しろ今は、この如何にも捻くれた少年を説得しなければならないという「任務」がある。故に、ひとまず平静を保った声でレディアさんが続けた。
「まぁ、あなたの評価は別にどうでもいいわ。それより、別の話があるんだけど」
「アレだろ?親父の作った冠を取り戻して来いっつーんだろ。あんな胸クソわりぃもん、別にどうなろーが知ったこっちゃないね」
「…どういう事?」
「ウムバの連中に聞いてねーのか?…親父がお袋を見殺す羽目になったのは、あの冠を作ってたからなんだよ。あの時代の勇者は、てんで魔法が使えねー脳筋ヤローでな。そんなバカの為に親父は、魔王の魔力から身を守る為のアレを作ってやってた…だから、それが完成するまで地上でどんな騒ぎが起きてよーと動くわけにゃいかなかった。そーゆー曰く因縁つきの冠なんざ、お前らで勝手にどうにでもしろって話だろーがよ」
 その言葉に、思わず皆で顔を見合わせる。――― これは相当に手強い相手だ。なまじ、その事情に同情できてしまう部分があるだけに難しい。だが、そうと言って諦める訳にもいかない。どうにか突破口を見出そうと、今度はブルーさんが口を開いた。
「あんたにとっちゃ、あまり見たくない品かも知れないが…でもその冠が今、どう使われようとしてるかは知ってるか?精霊王が望んだものとはまるで違う方面にあの冠が使われたら、それはあんたにとっても更にむかつく話じゃないか?…それを防ぐって意味なら、ここは敢えてビガプール王から冠を奪い返すのもありだと思うんだが」
「ふん…ビミョーに搦め手から来たか。ま、そりゃ別に動いたって構やしねぇが…オレ的にどーしても、魔王のパシリなんぞに顎で使われるのは納得できねぇもんがあるな」
 そこでクロウは、こちらを見て何故か今まで以上に不機嫌そうな顔になった。
「その槍…ヴァルキリア―だな。て事はお前か、あのバカ召喚しやがったのは」
 唐突に言われても、よく解らない。戸惑いが目に表れたか、クロウの声が苛立ちを増して。
「魔王の腰巾着のこった、すぐ解れよ。あのボケ野郎、お前を助けたついでにココにも立ち寄りくさって《俺の後輩いじめんじゃねーぞっ》とかほざいて行きやがった。ったく、歴代最強だか何だか知らねぇが、オレに言わせりゃ『歴代最凶のアホ使い魔』だぜ…」
「…もしかして。エルフィンちゃんの話に出てきた、エガオンの事?でも何で彼が使い魔?

「他に誰がいるっ。あのバカ、死んでも成仏できねーのを魔王が上手い事利用して、自分の雑用係させてんだよ。ま、主に勇者のお守役ってトコだが…お前ちったぁ疑問に思わなかったのか?何でヤツがお前らに異常に詳しいか。そりゃ当然だ、あのボケ魔王の手先として動いてるからお前らの行動もきっちり観察してた筈だしな ― だから『使い魔』以外、言い様がねーだろ」
 言われてみれば……あの時、夢の世界の中では色々精神が乱れていた為に、そこまで思い至らなかった。けれど、初めて会った筈の彼が私を「後輩」と知っていたり、あの場に出現していた敵が全て私の「知り合い」と判るというのは、考えれば妙なのだ。だが、それも彼が我々の旅を陰で見守っていたと言うなら話は別だ。してみると、あの時可能性の1つとして思った「彼が後世の勇者の守護霊化している」というのも強ち間違いでもなかった訳だ。
 ただ ――― 先に気づいて問いかけたレディアさんの言にもあるが、クロウがエガオンを「使い魔」呼ばわりしている点には納得がいかない。と言うより明確に怒りが沸く。
「怒ったって仕方ねーだろ、事実は事実だ。ま、野郎も死んで尚こき使われるのは哀れだが…ヤツもお前も、所詮は魔王の“道具”でしかねーんだよ。魔王にとっちゃ勇者なんて、赤い悪魔さえ倒してくれりゃ後はどうなろうが知るかって話でな、およそ人間扱いしちゃいねーよ。…まさか、そんな槍1本貰ったからって、目をかけてもらってるとか勘違いしてねぇだろな?」
 せせら笑うかのクロウの言葉は、一々癪に障るが…それに対してはきっぱりと反論できる。
 別に自分が特別気にかけてもらっていると思っている訳でもないし、そもそも勘違いと言うならクロウの方が甚だしい。魔王がエガオンや人間達をどう思っているか、それはかつて視た夢が何より物語っているからだ。あれは“魔王の記憶”だとパーンさんは明言していたし、その記憶を私が読み取れるとは予想していなかっただろうから、それに手を加える事もまず有り得ない。となれば魔王の「真実」は、クロウが語るものとは真逆な位置づけにしかならないのだ。
「―…っち、『夢の遣い手』はめんどくせーな…。ま、ちょいと反則っぽいが仕方ねぇ。一応は認めてやるよ……そう簡単に人の言葉に惑わされる程、脆弱な精神はしてねぇ、とな」
「認める、だって?どういう意味だそりゃ」
 なるべく怒りは滲ませない様にしつつも、ややきつめに告げた反論に、クロウは声音通りつまらなそうな顔でそう言った。しかし、スバノンの問いではないがその意味は良く掴めない。
 が、クロウはその問いにはまともに答える気がなさそうに、ただ岩から飛び降りた。そして…。
「んじゃまぁ、次いってみよか?そっちの女は保留としても、他の連中 ――― お前らの方も少しはいじってみねぇとな…!」
 そんな言葉を言い放ち ― その足が軽く地面を蹴る。と、いきなり足元が覚束なくなった……それもその筈、頑強だった洞窟の床が何故かクロウの周辺だけを残してものの見事に崩壊したのだ。
「きゃっ!?」
「テメー、いきなり何を…!」
 アスティやスバノンの声も、はたして彼に届いたかどうか ――― 無数の岩、と言うか小石程にまで分裂した床と共に遥か下方へと落ちてゆく最中では、もはやクロウどころか仲間の身さえ案じる暇もなく、ただ予想される着地時の衝撃に備えて身構えるより他なかった…。



 ―…幸い大怪我は負っていない様だが、少しの間気を失っていたらしい。
 身を起こし辺りを窺うと…そこは最初に到達したのとほぼ差のない空間だった。いや…これは?
「…あの落下、もしかして幻術だったのかしら。ここってあの広場にしか思えないわ」
 すぐ傍で、やはり周辺を見回していたレディアさんも同じ意見の様だ。その向こうには、今目覚めたらしく頭を持ち上げかけるスバノン達が見えた。そしてどうやら一番初めに意識を取り戻したらしきブルーさんは、立った状態で辺りを確認している。
「恐らく、最初の地震めいた揺れは魔法で起こした本物だろう。それに気を取られたが最後、見事に幻術に嵌る仕掛け…という訳だな。まあ、お陰で怪我もなく済んだのはいいんだが…」
「問題は、クロウが一体何を狙ってるかよね。姿が消えてるって事は…ただ逃げるだけなら、幾ら人間の血も入ってるといえ精霊なんだし、魔法で転移するのは簡単な筈。つまりは何か企みがあるって事だけど…」
「用心しながら、また洞窟探検するしかないかなぁ?」
 魔力探査でクロウを探しているかのブルーさんへレディアさんが応じる中、アスティも視線を巡らせつつ会話に参加する。と、その手元に目を向けたレディアさんが。
「あら、アスティちゃん血が滲んでるわよ。痛くない?」
「ん?特には…ってレディアさんの方が痛そうじゃない?それ」
 言われたアスティは、自分の手の甲を一瞥したのみでレディアさんの腕辺りを指した。見れば確かに肘の所が、強く擦り剥いた様で赤く染まっている。
「きっと倒れた時にやっちゃったんだな。治してあげるよ」
「え?別にいいわよ、私だって回復魔法は使えるし…」
 だが、レディアさんが断りかけた時には魔法を発動させたブルーさんは、彼女の傷が癒えたのを確認すると手を伸ばして、レディアさんが立ちあがるのを手伝った。
「皆も、特に目立った怪我がないなら早い所あいつを探しに行こう。罠には気をつけながら、な」
「そりゃいいけど、なんでいっつもお前が仕切るんだよ…」
 愚痴るスバノンは、かすり傷一つないらしい。それに安堵しつつ、アスティの手にヒーリングをかけてあげる。けれど…先程から、意識に何かが引っかかる。何か気になる事があるのだが、それが明確には解らないもどかしさに悩んでいる私の前では、レディアさんもまた物思いに耽る様な表情を浮かべていた。
「――― アスティちゃん。この前の、スバノンとの話はどうなった?」
 ややあって顔を上げた彼女が口にしたのは、何やら唐突な内容だった。
「え?なにかあったっけ?」
「やぁね、あれよ。ほら、あなた達今度2人でデート旅行楽しんでくるって言ってたじゃない」
「えぇっ!?い、一体いつそんな話が??」
「何だ、お前達いつの間にそんな仲になってたんだ?」
 寝耳に水、とばかりに驚くアスティの傍らでは、軽く目を見張ったブルーさんがスバノンに問いかけている。面食らったままのアスティは、縋る様に私の腕にしがみ付いたが……その身を背後へ庇い、槍を構える。レディアさんやスバノンもいつでも戦闘に移れる体勢だ。
「…レディアさん。あんた、本気で天才だぜ」
「ふふ、褒めても何も出ないわよ?」
「って皆どうしたんだ?何で、そんな怖い顔に…」
 戸惑ったような顔と声音でブルーさんが数歩、後ずさる。その姿に、スバノンが。
「当然だろーがっ。――― さっさと正体現せや、クロウ!!」
 怒りも露わに叫ぶ様に言うや、その剣がブルーさんに襲いかかった。だが、ヘイストでも無詠唱でかけたのか、彼は思わぬ身のこなしでスバノンの急襲から逃亡する。
「て、何言ってるんだっ?お前、まだ幻術にでもかかってるのか?」
「あなたの化け方は、基礎がなってないのよクロウ。本物のブルーさんなら、私より先にアスティちゃんの怪我を治すに決まってるし、彼女とスバノンがくっついたりしたら錯乱してメテオの数発もスバノンの頭上に落とすでしょうからね」
 レディアさんも、冷静且つ皮肉っぽい口調で告げながら次々と槍技を繰り出していくが……相手は異様に動きが早く、彼女の腕を以てしても槍先が掠りもしない。スバノンも単に斬りかかるのみならずダブルフラットの様な大技も出してはいるが、やはり剣先はその全てがかわされている。そんな凄まじい速度での逃げの最中、ブルーさんの表情が不意に変わった。
「っち、コイツってばガキっぽいのが好みだったのか。つい自分の趣味に走ったのがまずかったな」
 ――― そう、先刻からの違和感はこれだったのだ。レディアさんの指摘通り、本来あるべき姿を取らないブルーさん…否、その容貌を借りたクロウの言動が、無意識ながら気になっていたのである。いち早く違和感の正体を見抜いたレディアさんのお陰で大事には至らなかったが、下手をすると探検の途中で不意討ちでも受けていたかもしれない事態に、改めて彼の油断ならなさを思い知らされる。…ふと、袖を引かれて振り向くと、ひとり取り残されたかのアスティが困惑顔で。
「えと、あれって…つまり偽物?本物のブルーさんってどこいっちゃったの?」
「コイツを倒しゃ聞き出せる!お前も参加しろアスティっ」
「武器だけじゃきつそうだわ ――― エルフィンちゃん達も魔法交えて、参戦して!」
 確かに、見ているとクロウの動きは異常とさえ言えるレベルだ。素早さだけなら、あのフォルス以上かもしれない。だが少なくとも今の所、彼から攻撃してくる事はない様だ。その暇がないと言う事かも知れないが、これならアスティから少々離れても大丈夫かも…決断したところでスバノン達の攻撃の合間を捉えフロストタワーを唱える。が、何故か氷の刃の全てが偽ブルーさんの周辺で溶岩の熱気にでもあてられた如くに溶け崩れ消失した。
 続いてレディアさんがサークルブレイズ、更にはダークホールまで放ったが、それらもまたクロウに届く前に霧散してしまう。シャープを撃ち込んだスバノンの後ろからウインドスライサーを唱えるも結果は同じ…そこで逃げ続けるクロウが、嘲笑うように。
「バカだろお前ら。オレは精霊王の息子だぞ?たかが人間の魔法なんざ効くかっての。ま、あいにく闇精霊に堕ちたもんで神聖魔法だけは打ち消せねーが…それでも食らうダメージは低いぜ?」
「!…そう言う事…だったらアスティちゃんに魔法は任せるしかないわねっ」
 言いながらレディアさんはヘイストを全員にかける。その効果を得てスバノンがパラレルを連打したが…恐るべきはクロウの敏捷性、それでさえ動きが止まらない。私もエントラップメントを仕かけてみるが、これまたレディアさんのラピッドスティングと共にかわされてしまう。
「ってアスティは何やってんだよっ?…おい、アスティ!?」
 スバノンの声に返事がないので、攻撃の手を多少緩め彼女の姿を探してみる。すると…アスティは奇妙な変化を遂げつつあった。未だ事態が把握できていないかの、茫然とした表情から……まるで、ある種の狂気に囚われたかの据わった目つきへと。
「…よくもブルーさんを ―――― クロウ!ブルーさんを返しなさいっ!!」
 突如、悲鳴に近い高音で叫ぶや、その手が猛烈な勢いで攻撃魔法を生み出し始める。だが、今までの話を聞いていなかったのかアスティが放ち続けるのは光魔法や雷魔法。時折、ルインズの様な神聖魔法も混ざるのだが…はっきり言って無茶苦茶だ。大体、こんなに一気に魔力を使ったら身体への反動も半端ないのに、その意識さえ無くしている風である。
「あ、あんなアスティ初めて見たぞ……何なんだ一体?」
「それだけブルーさんが気がかりなのかしら?これは相当かも…」
 レディアさん達も、やや動きが鈍くなる程驚いたらしい。それでも飛び交う魔法の合間に攻撃を仕かけてはいるが…私は思わず完全停止してしまった。ここまでアスティの思い入れが激しい以上、無事ブルーさんを取り戻したらアウグスタでジルクさんに式の予約をお願いした方が良いかも、とか、その際の媒酌人は私とスバノンのどちらが務めるのだろう、とか考えてしまったせいだが……こんな思考を巡らせた事がばれたら、私もリンさんに殴られるのだろうか…?
 一方、クロウは惑乱状態のアスティが放つ攻撃魔法さえ身軽にかわし続けている。ついでに恰好の嬲り相手が見つかったと言わんばかりの表情で、愉しげな声を出した。
「へ~え。そんなにコイツが心配か?」
「当たり前でしょっ。だって、だってブルーさんが戻らなかったら…」
 その挑発にアスティが、それはもう懸命に、目に涙さえ浮かべながら絶叫する。
「…今度、町に戻った時におごってくれる約束だった“限定チーズケーキ”が食べられなくなっちゃうじゃないの!!あれ、自分で買うには高いんだからっ!

 ―…瞬間、それはもう見事に、いっそ絵に描いて残しておきたくなった程見事に、クロウが派手にすっ転んだ…。ついでに、それまで華麗に避け続けられていたスバノンのパラレルを2、3発ほど食らったりもしていたが……暫く身動き一つせず転んだままの姿勢で居たのは、その為だけではないだろう。多分。
「――――――― なぁ…ちょっと聞いていいか…?」
 ややあって、漸く起き上がったクロウは、自分の顔を指さしつつ続けた。未だ変化を解いていないその顔は、ブルーさん自身の悲哀を示している様な錯覚さえ、見る者に与える…。
「オレってば……コイツに同情しちゃっていい?なんか、一緒に飲みたくさえなってきた…」
「あ~…ま。どっちでも、いんじゃね?」
 返すスバノンも、何やら微妙な表情だ。流石に少々、思う所はあるらしい。
 しかし、そんな“不思議な連帯感”さえ吹き飛ばす異様な気配が、すぐ傍らで湧き起こる。
「いい加減、ブルーさん返さないと…」
「!? って、ちょ、おまっ!それホーリー――― なんでガキのおまえが、そんなの…っ!!」
「……おしおきよぉっ!!!」
「だぁっ、待ておいこら、ちょい待てやあぁぁぁぁぁぁ!!?」
 クロウの、焦燥かつ悲痛さの篭りまくった制止も時既に遅し。アスティは高々と上げた両手に凝った、かつて見た事のない規模の攻撃魔法力を一気に、偽ブルーさん目がけて解放してしまった。
「―――― ぐあぁぁぁぁぁっっ…!!!」
 一瞬、天使の羽が散らばったかの神々しい光の乱舞と、それに似つかわしくない濁った悲鳴とが交錯し。巻き起こる爆風と土埃とが治まった頃、恐る恐る見てみると…。
 そこには、辛うじて原形を留めた人影が、哀れな様子で転がっていた。
 意識がなくなった故だろう、やっと変化の解けたクロウの姿は……最早“白銀の”ではなく“漆黒の”と渾名を変えた方が良いのでは?と言う位、見るも無残にこんがり黒焦げになっている。
「…神聖魔法・究極呪文ホーリーを操れるなんて……さすがにリンちゃんの妹ね。外見に表れてなくても、この子も『精霊の加護篤き者』かも知れないわ」
「いや、レディアさん ― ツッコミどころは、そこじゃない気が」
「ん?ああ、そう言えばクロウもさすが精霊王の息子よね。普通、あんな極大魔法の直撃を食らっちゃ生きていられると思えないけど…一応息はしてるみたいよ」
「……そこも違うと思います…」
 がっくり肩を落とすスバノンは、珍しく疲労感ありありの表情だったが。恐らくその「言いたいこと」が伝わる事はなさそうなので、数呼吸後には、どこか諦めた様な遠い目をしたのみだった…。



「――― だからよ、オレもお前らの“審議役”の1人なんだっつの。気づけよ途中で」
 1時間ほど後…やっと冷静さを取り戻したアスティのフルヒーリングでどうにか全快したクロウは、本物のブルーさんを『岩の檻』から解放して、疲れ切った様な顔でそう告げた。
「お前ら、海の神殿に行ったはいいが魔王に追い返されたんだろ?そういう場合は、オレが勇者の再審査をする事になってんだよ。勇者の精神・戦闘能力・そして仲間がいるならその連帯力…絆の強さを確かめる。それが親父に言われたオレの“仕事”だ」
「じゃ、あの散々な物言いは全部、マーホーみたいな計算尽くの…?」
「そこは、ちょいと違う。オレはアイツみたいな演技派じゃねーっての。ありゃ全部、本気の本音だ…特にあのバカ使い魔に関しちゃマジ本音だっ。死人の分際でムカつくんだよ、あのボケは」
 レディアさんの問いに返した、吐き捨てる様なその台詞に、呆れるよりいっそ笑ってしまう…成る程、エガオンは我々がクロウに会いに来る事が解っていたからこそ、先に彼へ釘を刺して行った訳か。まぁ、その気遣いはクロウの性格の為に全く以て逆効果だったが…。
「えー、でもそれじゃ…お兄ちゃんは、なんでわざわざビガプールに…」
「そりゃ単に、アホ国王の牽制役だろ?精霊が背後にいると明確な野郎が傍にいちゃ、うっかり冠の力を悪用もできねーだろ……それでも強行しかかったら、その男がマーホー達の代わりに力ずくで止めりゃいい。この手なら、アイツらが下手して闇精霊に堕ちる危険も回避できるって寸法だ」
「そ、そんな…あいつら、リンさんに場合によっちゃ王様刺させる気で ――――

 スバノンが仰天且つ怒った様な顔で言いかけると、何やら面倒そうに立ち上がったクロウが。
「そこまでやらせる前に、オレが出張るんだから問題ねぇよ。なんたって過去に一度、国1つ滅ぼした闇精霊様だぜ?オレは。アホ王脅すにゃ最適な人材だろーが」
「って、それじゃリンちゃんを助けに行ってくれるの?」
「何のかの、お前らは合格したんだ。仕方ねぇだろ…どんな男かは知らねぇが、またあの冠の犠牲になる人間が出るってのもオレ的には気に入らねーしな」
 じゃ行ってくる、と転移の魔法力を発動させかけた彼は……思い出した様にブルーさんを見た。
「おい、お前…ちゃんと約束は果たせよ?さもないと ― 命の保証がねぇからな??」
 言葉の最後で、どこか怯えた風の目つきをアスティに向けると、後はそそくさと消え去るクロウの様子にブルーさんは首を傾げている。
「約束?…あいつとは会ったばかりだし、一体何を…。俺、幻術に嵌められて何か口走ったか?」
「や、そっちの話じゃねーと思う…」
 スバノンもまた、疲労感が再発した如き顔色でぼそっと言った。その脇から、アスティが手を伸ばしてブルーさんの手を摑まえる。
「それより、やっと用が終わったし早くビガプールに戻ろっ♪」
「ああ、そうだね。アスティちゃんとなら約束があったっけ」
「―…まずは、ウムバへ笛を返しに行くのが先よ」
 レディアさんも、珍しく萎れた声音だった。だが、それを気にする風もなく一足先に進んで行ってしまうアスティ達の後を追いつつ……やおら彼女はスバノンへ向き直る。
「スバノン。今回の騒動、そもそもは ――― あなたの教育が悪いのが原因よっ。《食べ物をくれる人に無闇についていかない》…子供の躾の基本でしょうが!ちゃんと教えておきなさいっ」
「て、なんで俺!?そんなの、リンさんが仕込むもんじゃ…」
「大体スバノン自身が食べ物に釣られるタイプだから、それを見てアスティちゃんも覚えちゃったんでしょ!これに懲りたら、あなたも少しは食欲抑えなさい!」
「そりゃさすがに、言いがかり……いえ、はい解りました反省します…」
 反論しかけたスバノンだが、途中で思い留まった様に素直な返事をする。レディアさんに対する、例の教訓を思い出したものらしい。
 しかし、これは ―――― パーティの過半数が“食べ物で釣れちゃう”勇者一行と言うのは、果たして過去に存在したのだろうか…?いや、多分ないだろう……いつしか洞窟からトラン森へと踏み出し、魔物の影も気になる様になった頃。皆の後ろを付いていきつつ内心でこっそり祈ってしまった…「どうか、こんな情報が魔王の下に届けられたりしません様に」…と。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

「やぁ、皆お疲れ様。お陰でほら、冠は取り返せたよ」
 数日後、ビガプールに到着したのは良いが……前回の様にアスティ達を商店街へ残し向かった王城で、ファランさんが教えてくれたのは「リンさんは既に解放されて村へ戻った」との情報だった。
 急いでその後を追いユグドへ向かうと、村に着く手前の森の中、私達の帰りを察知していたかのリンさんが出迎えに立っていて、会うや否やにっこり笑顔でそう告げてきた。その手には確かに、いつかテレットで見た覚えのある金色のティアラが乗せられている。
 だが、スバノンが反応したのはその冠ではなく、リンさんの背後…そこに立つ影だった。
「あー!!テメーはっ……今度こそ覚悟しろ!」
   けれど、その影に殴りかかろうとしたスバノンの身体に何かが、疾風の勢いで巻きつき、彼の動きを止めてしまう。
《やれやれ…執念深いね君は。だからと言って、私も痛い目に会うのは嫌なのでね》
「なんだ?お前、コイツになんかやったのかマーホー」
《いや、彼には何も。ただ、エルフィンの方に少々ね…それをずっと怒っているのさ、彼は》
 どうやら以前、聖樹の中でスバノンが宣言していた内容を覚えていたらしき風霊は、予め防衛策を用意していた様だ。あの羽衣は中々、使い勝手が良い魔法具らしい…手早くスバノンを縛り上げ一息つく風霊に声をかけるクロウだが、特に助けてくれる気配はない。それもあってか尚も文句を言い続けるスバノンに、目を瞬かせつつ様子を見ていたリンさんだが、彼の口が数瞬止まった隙に。
「えーと…とりあえず、この冠の事でちょっと話があるんだけど。いいかなぁ?」
「そう言えばリンちゃん。人が悪いじゃないの、あんな手紙残して私たちをウムバへ行かせるなんて…あれじゃ何だか、リンちゃん、ちょっとした詐欺師よ?初めからきちんとクロウの件の詳細を伝えていってくれればいいのに…」
「それじゃ、お前らの試験にならねぇだろ。前知識もなんもなくオレと会うから、公正な審査が出来るんだろが」
「あはは~…ごめんよ。でもこの方法は、彼に会う事が出来た際に持ちかけられた話でね」
 レディアさんが、友人ならではの苦情を訴えると、途中にクロウの割り込みを交えつつリンさんが謝罪した。その目は、しかしクロウではなくマーホーの方を示している。
「僕は、彼がユグドラシルに住んでると突き止めた時点で、『精霊王の冠』の件で協力してもらおうと思って彼に呼びかけてみたんだ。そしたら、彼の方も丁度良いからって事で…今回の“不思議の村・どっきり劇場♪”になったわけでねー」
「…リンちゃん。真面目に答えないとシェイドフレア行くわよ?」
「あ、あははは…」
「マーホーの事を突き止めたって…どうやって、その存在に気づいたんです?」
 一瞬目が据わったレディアさんの前で、少々固まってしまったリンさんへブルーさんが訊ねる。そちらへは、リンさんも元に近い顔色を取り戻した状態で。
「んー、あれかな。エガオンに関する調べ物の際、彼がユグドに来た事があるって史実を発見した時。この村はユグドラシルの魔除け効果で、世界でも屈指の平和な土地なのに何でだろう?って疑問に思ってね~…でも君達がピラミッドで精霊に会ったって聞いた時、なんか解った気がしたんだよね。そしてテレットにあったのが精霊王の冠だと判明した所で確信したんだ、『精霊達の憩い場』と言われるユグドラシルにはきっと、冠や勇者に関わる精霊が宿っていると。で、最初僕は、その精霊を呼び出せたらビガプールに行ってもらおうと思ってたんだけど…

 ――― リンさんは確か、ガディウス遺跡からテレットへと飛ばされた頃、「ビガプールに関しては…ちょっとした考えもなくはないんだ」と言っていた。少し気になる事がある、とも言った気がするが、それが聖樹の秘密に関わる一連の事実についてだとしたら、彼はブルーさんより遥か前に、精霊の動きに隠された真実を察していたのだろうか。相変わらず、彼の勘の良さは恐るべき水準に達していると言える。
《私も、少々驚いたよ。この猫が、冠を取り戻すべく君達と別行動を取っていたのは解っていたが、まさか私の存在に気づき、しかも私に直接呼びかける古代術式まで使うとはね……だがその頃、君達が丁度魔王に神殿から追い返されていたから私も猫に協力する気になった。その場合、君達は遅かれ早かれクロウに会わねばならなくなる。なら、そこまでの道は猫に示してもらうのが一番早い。ついでに冠も取り返せれば一石二鳥と言うものだとね》
「―…お互いの利害が綺麗に一致しての、リンちゃんの詐欺手紙だった訳ね。まぁ、お陰で色々ありはしたけど今度こそ、魔王退治に行けそうだから良しとしてあげるわ」
 後に続けられた風霊の説明に、呆れた風の声音ながらレディアさんが言うと、それまで何やら冠をじっと見つめていたアスティが、気になると言う様に。
「でも…そのティアラ、前に見た時より何だか力が減ってる気がするよ。何にもないって程じゃないけど、魔王に対抗できるくらいの力があるとも思えないんだけど…」
「確かに ――― これじゃ精々、スマグで作られるマジックアイテム程度の力だな。マーホー、あんた達がついてたなら、それはないと思うが…もしや偽物でもつかまされたとか?」
《そうではないよ。これは紛れもなく『精霊王の冠』…但し、少々手遅れだっただけさ》
 ブルーさんも問うが、風霊は品についてはそう保証し、代わりに気がかりな一言を付け加える。アスティもその点を訊ねると…。
「手遅れって、どういう事?」
「さっき、僕が話そうとしたのもそれさ。実は…ビガプール王は、冠を直接操る方法は見つけられなかったんだけど、そこから魔力を抜き取って利用するって方法は思いついたんだ」
《抜き取られた魔力は“上級魔力結晶体”となり、そこから別の魔法具や、強大な魔法を操る際の原動力として利用が可能となる。あの王は、正にその直前まで行っていた……そこに我々が到着したのだから、まぁ真の意味で手遅れでもなかった訳だけどね》
「クロウの交渉は見ものだったねぇ。《その結晶体を使うってんなら、この国一晩で山の下に埋めてやる。国1つを多くの民もろとも滅ぼした、歴史に名を残すだろう“愚王”になるか、素直に冠と結晶体を返して国を救った“賢王”になるか ― 選ばせてやるから3分以内で答えろよ》だったからねー。どっちかと言わなくても、交渉というより脅迫?」
「…お前らしーなクロウ…」
 未だ羽衣に縛られたままのスバノンが、ぼそっと一言呟く。だがクロウはその感想にも、リンさんの評価にも興味はないようで、寧ろ別の件が気になるらしかった。
「それよりか、お前ら……どーすんだ?冠はもう、この時代にゃ役立たねぇし…それでも魔王退治に行くのかよ?」
「使えないって…どうして?魔力結晶体も一緒に取り返したんでしょ?なら、それを冠へ戻せば元通りじゃないの」
「そりゃ出来ねぇ相談だな」
 レディアさんの疑問に、一言で返されたクロウの否定だけでは状況がさっぱり解らない。それを見越したかの説明はリンさんと、マーホーが即座にくれた。
「この冠はね、一度使用すると次の勇者が使う時まで…つまり100年の時をかけて力を再充電するって風に設定されてるんだって。逆に言えばその設定の為に、一度力を失った冠に途中で無理やり魔力を補充する事は出来ない ――― 例えそれが冠自体の持っていた魔力でも、ね。これは、魔王の力さえ抑えられる強力な魔法具である『精霊王の冠』を、何度も充電して世界に悪影響を及ぼす者が出ない様にって精霊王自身が決めた、決して破れない“制約”らしいんだ」
《魔力結晶体の方なら、そこの魔法使い君には使えなくもないだろうが…生み出された上級魔力結晶体は3つだが、既に2つは緊急性の高いユグドラシルとファイヤーケーブの生命力・魔法力補充の為に使ってしまったのでね。残る1つを、私達の魔法力も多少加えた上で君達の装備に分割して宿らせてあげよう……魔法耐性はこれでかなり上がるが、それでも最後の戦いはやや厳しいかも知れない。君達の戦闘能力はクロウも認めてはいるが…どうする?海の神殿へは行くかい?》
 確認の様に放たれた言葉に、一度は全員で顔を見合わせたが。その意思はひとつと悟った如くに同時に頷き……皆を代表するかのようにスバノンが口を開く。
「ここまで来て投げ出す筈ねぇだろっ。厳しかろーが何だろーが魔王は倒す、皆そう決めてるぜ」
《…ふふ、やはり意志は強いね。ならば早速、装備への魔力付与を始めるから全員、私の前に持ち物を置くと良い。― 君に関しては、何だか危ない気配だから剣だけにしておこうか》
「って待てコラ!ひとまずボコるのは保留してやっから剣以外にもやってくれっ」
 ――― 漸く解放されたスバノン初め、全員が装備を外して風霊の術が完成するのを待っていると、後ろから軽く肩辺りを突かれた。見ればクロウが、何やら真面目な顔で、無言のまま手招きしてみせている。密かについて来いと言う事らしい……その意を汲んで、そっと皆から離れ彼に続く。
「…お前、エガオンがなんで自害したか、その本当のトコって解ってっか?」
 数分ほど歩いた後。やおら振り返った彼は、至極真剣な表情と声を向けてきた。大体、彼がエガオンを名で呼ぶ事自体が初めてだし、クロウは何を言おうとしているのだろう?
「お前らがオレの住処に来た時の、精霊どもの歌は覚えてるか?」
 それについては、まだ数日しか経っていないし凡その所は記憶に残っている。そう伝えると…。
「―…魔王のヤツはな、古文書なんかに記されてる話と違って本当は“人間の魂を取り込み消し去る”訳じゃねぇ。そもそも人の魂が宿る前の胎児に、端から己の魂を入れ、自分の記憶を封じて生まれるだけだ。で、身体が魔に作り変えられると共にその封印も解けていく…よーするに、ヤツの魂は『転生』の概念から見事に外れてる“尽きる事を忘れし命”だ。黄泉での浄化も何もねーから、ずっと赤い悪魔に苦しめられ勇者どもを犠牲にした記憶が魂の奥底に留まり続ける」
 そこで一旦言葉を切ると、氷青色の瞳が今までと異なり、心底の同情と思しき色を宿した。
「エガオンの野郎はな、友情が深すぎた為かそーした『真実』までが見えちまった。そして悟ったのさ、魔王を倒すってのは“親友の魂を消し去った奴への復讐”にはならねぇ、紛れもなく“親友そのものを殺す”事なんだって…それに気づいた時、あの底抜けの能天気野郎が自らに剣を突き立てたって訳だ。――― お前は『夢の遣い手』だし魔王の記憶も視たってんなら、或いはもう同じ事に気づいてたんじゃねぇか?それでも……海の神殿で魔王に会う事ができるか?」
 そう…確かに。そうした「裏」は、何とはなしに感じていた。あの、神殿での一連の流れ……何より、未だ“パーンさん”のままである筈のその手で、魔王の過去の記憶全てを正確に再現してみせた彼の姿から。あれは『パーン=魔王』でなければ出来ない芸当。取り込まれ、消えゆく運命の魂がもう1つの、優位に立っている魂の記憶に関与する術を使うなど不可能なのだから。
 次に海の神殿へ行った時は、もう「逃げ」はない。確実に魔王との戦いは繰り広げられる、その際に…『真実』を知っていて尚動けるのか、とクロウは聞いている訳だ。彼もまた、魔王と勇者の縁についての知識はあるのだろう、それ故の心配なのだろうが……頷いてみせるまでの逡巡は、ほんの一呼吸分の時間で済ませる事が出来た。
 スバノンも言った通り、今更投げ出す訳にはいかない ――― これは「譲れない戦い」なのだから。
「そうか……なら、せめてもの餞別だ。コレをやる」
 私の答えを得ると、クロウは無造作に懐を探り、何かを放って寄越した。見ればそれは、さながら彼の髪の如き輝きの繊細な腕輪だった。
「そりゃ『ユニコーンの腕輪』つってな。身に付けりゃ誰でも神獣並みの素早さが発揮できるって魔法具だ。…オレがお前らの攻撃を全部かわせた秘密もソレだ。冠がない以上、攻撃は最大の防御、で動いて速攻勝負決めるしかねーだろ?行くからにゃ、必ず勝って帰ってこいよ」
 この世から綺麗な女が減るのは腹立つしな、と冗談めかして付け足す彼に。何だか、それ程悪い人でもないのかも…と思いつつ、丁重に謝辞を述べ、その腕輪を身に付けた。
 いよいよ、「最後の戦い」は近い ――― 後は、この戦いにどんな裏があろうとも、私は私にできる“最善”を尽くさなければ…そう思いながら。
コンテントヘッダー

― 九.夢魔の領域 ―

 ――― 何だか、空気が薄い気がする…。
 潮風とは似ても似つかぬ、緑の匂いを多分に孕んだ爽やかな風。軽やかで気持ち良いが、少々薄く……それに、時折煙たい…様な?
 ふと視界が明確に認識される。淡い空色の中に一筋、白いものが走って消えていく。その出所らしき方へと目を向けると、見知らぬ女性がひとり、煙草を燻らせつつ座っていた。
「…ん。おっ、起きた!」
 私の身じろぐ気配を察したか、こちらを向いたその人と目が合う。途端、飛び上がる様に立ちあがったその女性は、私へともう一人、誰か離れた所に居るらしき人へ声をかけた。
「ちょっとあんた、大丈夫かい? ――― チャッピー!あの子起きたよ!!」
「えっ、ほんとに!?」
 どこからか若い男性のものらしき声が返ってくる。ほんの少し後、先に私の傍へと来ていた女性のすぐ隣に、僅かに尖った耳…『精霊の加護篤き者』の特徴を持った青年がやってきて座った。
「はは…気が付いて良かった。君、山道で倒れていたから、僕が村まで運んできたんだ。怪我とかしてないみたいだから、安心したけど……気が付くまで結構かかったね」
「…あんた、名前なんて言うの?」
 ―…山道?一体どこの…これは一体、どういう状況なのだろう?
 今ひとつ話が見えなかったが、ともあれ救われた事は確からしいので、まずは軽くお礼を述べておく。次いで、問われた名を答えると。
「ふーん、エルフィンって言うんだ…記憶は飛んでないみたいね」
 頷きつつそう言った女性が、つ、と煙草を口元へ寄せたかと思うと……白い塊を一気に私へ吹き付けた。あまりの煙たさに思わず、派手に咳き込んでしまう。
「こらこら、いじめちゃ駄目だよ。吸わない人には煙いだけなんだからさ」
「別にいじめちゃいないわよ。…あんた、この村に来るつもりで山を登って来たんでしょ?でも、途中で倒れる辺り支度が甘かったんじゃない?私たちが助けてなかったら、今頃狼の餌になってた筈よ。感謝しなさいね」
「まぁまぁ、そこまできつく言わなくても…とにかく良かったよ。エルフィンだっけ?僕はチャッピー。そっちの姉さんはキャンディだ、よろしくね」
「よろしくって、何が?」
「いや、だって…この子がどこから来たのか知らないけれど、すぐに帰れる訳じゃないでしょ」
 彼らの喧騒を聞きながら、漸く思い出す ―――― 私もまた、魔王の強制転送…ムーンポータルで何処かへと送られたのだったと。その着地点が、この村近くの山中だったと言う事なのだろうが…狼の徘徊する様な場所ではなく、せめて村の端辺りに置いては貰えなかったのだろうか…。仮にも魔王ならその程度の微調整は利きそうなものだと、知らず天を仰ぎつつ、ちょっぴりパーンさんに恨みがましい思考が向いてしまった。
「…あれ?君、ここを目指してたんじゃないのかな?…ここはウムバって言う村。高い山々に囲まれた、小さな村さ」
 改めて青年 ― チャッピーさんに、ここがどういう場所か訊ねてみると、そんな返事が返ってきた。その村名には何か覚えがある気がして…考えてみる内、それがブルンの図書館で調べ物をしている際に見た名前だと気が付いた。険しい山脈、その途中の小さな台地に築かれた謎多き村…一部では『夢と精霊に護られし村』とも言われているとか書かれていたが…。
「はは、良く知ってるね。でも、それは昔の話……今じゃ何にもない、ただの村だよ」
「どっちかって“夢に呪われし村”かもしれないけどね」
「こらこら、キャンディ……ま、とにかくこういう場所だし、エルフィンがどこから来たのかは知らないけれど、そう簡単には帰れないんだ。…さて、僕たちは先に戻るよ。村の出口近くにあるテントが僕の家だから、エルフィンも落ち着いたらおいで」
 そう言い残すと、チャッピーさんとキャンディさんは何処へともなく立ち去って行った。私も別に、具合が悪い訳ではないのだが…戸惑いが強く顔に出ている故、そう見えたのだろうか。まあ、一人にされたのは今は幸いと、まずは事態を把握する為に思考に沈む。
魔王は何故、私だけをこの村に転送したのだろう?他の皆…アスティ達に関しては「それぞれの因縁深き土地」へ送ったと言っていたのに。文献で僅かに知り得ただけのこの村が、私にとって因縁ある場所とも思えないが ――― 悩む中で、そう言えば…と今ひとつ思い出した。「君ならきっと、その壁を超えられると信じているよ」…確かパーンさんは、最後にそんな事を言っていた、と。
 あの“魔王の意識”内で見せられた、異形の悪魔……あれに打ち勝つ為には、今以上の力をつけなければならない。この地に送られたのは、その為のいわば修行…と言う事なのだろうか。つまり、ここには今まで旅してきた中で出くわした様な、例えばアウグスタのそれの様な問題が発生していて、その問題を解決してみせろ、と魔王は言いたいのかも知れない。そこまで考え…先程、キャンディさんが「夢に呪われし村」と言っていたのに気付く。
 それが、この村に起こっている問題に直結する言葉かまでは、まだ判らないが…ともあれ、自分がここで何を為すべきかを見つけなければ、そしてそれを成し遂げなければ、どうやら元へは帰れなそうだ。ただここを出て行って仲間を探し集めるだけでは、恐らくまた海の神殿で、魔王に追い返されるのみ…と言う事になりそうな気配だし、何としても頑張るより他はあるまい。
 ひとまず、チャッピーさんに村の詳細を訊ねてみよう ――― 村の出口、とはどちらの方角か分からなかったが彼らの去った方へ向かえば間違いなさそうかと、立ち上がってみる。ここは村の中でも特に小高い丘らしく、見回すと村のほぼ全体が手に取る様に解る場所だった。テントが家、というのは今までには聞いた事がない話だったが、幾つものテントが立つだけで木や煉瓦等で作られた建造物が見当たらない所からすると、この村の場合はそれが通常らしい。畑などもあるにはあるが、多くの家畜が囲われるでもなく呑気に草を食んだりしているのを見るに、ここの住人は元々は遊牧民だったのかも知れない。村の規模も大きくはなく、テントの数からして村民も少なそうなのは、そうした血統故かと思われた。
 丘を下り、暫く歩いてみると…やはりここは、何かしらの問題を抱えていると察しがついた。単に人が少ないからではない、背後に何かあるからこその「影」を感じるのだ。そこに住まうのが何の心配もなく日々の営みに追われるだけの人々なら、例え小規模な村でも活気に満ちているものである。なのにここは、すれ違う子供までが暗い表情をしている……一体何があるのだろう?
 ふと、通り過ぎかけたテントのひとつが気になり、覗いてみようと足を戻す。ここに来るまでにも2つ程は、テントの中を覗いてみたのだが…チャッピーさんはもとより誰の人影もなく、何ら手がかりを得る事が出来なかった。でもこのテントは、他のそれより明らかに大きい。或いは村の集会所とかかもしれない、と中へ入ってみる気になったのだ。
「…む?あなたは……旅人かね?」
 果たして人はいたものの…広い空間、その奥に座っていたのは、年頃の良く掴めぬ、やや変わった意匠の服とサークレットを身に付けた男性だった。
「どうやってここまで来たのかは判らないが、この村は悪夢の村だ。あなたも近い内、狙われる…絶望が心に住み着く前に、この村を脱出するのだ」
 簡単な挨拶を向けると、彼はそんな事を言ってきた。悪夢の村…キャンディさんが言っていた言葉とどこか一致する様な。これは手がかりになるかも知れないと、少し詳しく話してもらえないか頼み込んでみる。
「詳しい事と言っても……うん?あなたは…『夢の遣い手』か」
 初め、言い渋るかの表情だった男性は、近づいた私を見上げると急に声音を変えてそう言った。だが、その言葉に少々驚いてしまう。『夢の遣い手』とは、そんなにすぐ、見ただけで判る様な存在なのだろうか?
「まさか。『精霊の加護篤き者』と違い、外見に特徴がある訳ではないから見ただけでは判らぬよ。但し、同じ力の持ち主なら話は別……この村は、かつては多くの『夢の遣い手』を輩出した“夢に護られし村”だったのだよ。しかし、今ではその力も私が受け継ぐのみ…その力故に、この村の長を任されてはいるが、今この村を襲う危難を払える訳でもなく…全く役には立てておらぬ長だ」
 …成る程。言われてみれば、男性のサークレット、その中央にあるのは ― 私の物と同じ『夢見の雫』である。彼の言葉からするに、この村は昔は、ブリッジの占い師さんの様な人で溢れる村だったのだろうか。だからこそ、ブルンの図書館の資料にわざわざ記載があったのかも知れない。
「見分けがつかぬ、という事は、あなたは遣い手としてはまだ未熟か……しかし、その耳を見るに『精霊の加護篤き者』でもあるのなら…。或いは悪夢の根源に敵うやも知れぬ。試してみるかね?」
 村長の言葉に、一瞬は躊躇したものの頷いてみせる。詳細が未だ解らぬ以上、何をどう試すのかが不明だが…問題の解決、その糸口が見えそうなこの流れで、話を断るのもどうかと思ったのだ。
「では、そちらの寝具を貸そう。そこで寝てみなさい ―――― 眠りの際までは誘ってあげよう。その後は……夢の世界をどう見極め動くかは、あなた次第だ」
 いきなり寝ろ、と言われても今はまだ昼だ。つい先刻まで気絶していた影響もあって、睡魔などおよそ近寄っても来なそうだが、村長の言からすると彼は睡眠をもたらす魔法なり術なりは持っているものらしい。
 何だかパーンさんといい、この村長といい、最近出会う人は皆私を眠らせている様な……どこか解せない気分に陥りつつ、示された寝具へと横たわる。仄かな草の匂いが立つ、寝心地は悪くない布団だ ――― そう思うかどうかで、忽ち視界が揺らぎ出した。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 気づけば、辺りには鉄錆めいた臭いが充満していた。
 それも道理 ――――― 周囲を見回し、目に入ってきた「もの」…その意味に気づき愕然とする。
 初めは良く解らなかった、点々と散らばる無数の朱い塊…けれど、その内のごく一部に、どこか見覚えのある色彩…紫銀の糸が縺れる様にして落ちていた。それが糸ではなく髪と気づいた時。
「―…全く。ああまで手筈を整えてやっても、まるで成長しないままここへ来るとはね」
 どこからか、聞き覚えのある……なのに全然知らない冷たい口調の声が聞こえてきた。
 その方向を探し、目をやると ――― そこで再び血の気が引いた。現れた魔王が、野兎の死骸でも扱う様にぶら下げているのは…両腕のないアスティの身体だったからだ。
 元々、赤が主体の服を好んで身に付けている彼女だが、今のそれは明らかに衣装の色ではない紅だった。僅かにも身じろがぬその身体を、さながら紙屑を放り投げるかの無造作ぶりで宙へと投げるや、何を言う間もなく……本当に一瞬で、既に散らばっていたのと同じ多数の小さな塊へと変じさせた魔王の姿に絶句する。切断などと言う言葉では生ぬる過ぎる程の威力の、風刃魔法 ――― 行われた行為自体は理解したものの、それを遂行したのがあの人だ、と言うのが到底信じ難かった。いつだって周囲を気遣い、己を倒しに来る敵である筈の我々にまで細かな気配りを見せていたあの魔王が、一体どんな気紛れを起こせば、こうも変貌するのだろう…?
「役に立たない“道具”に、気を遣う価値なんてあるかい?…赤い悪魔どころか、本気を出していない俺にさえ勝てない様な連中が、よく精霊の試練をクリアできたものだ」
 抗議のひとつも出来ず、それ以前に泣き喚く事すら思いつかずに唖然とするばかりの私の前に……冷酷、と言う表現さえ通り越した声音の彼が、いつの間にやら立っていた。
「俺を失望させてくれた、その罪はせめて ―――― その命で贖ってもらおうか。勇者殿?」
 声と同様、今まで見せた事もない冷ややかな侮蔑の笑みを浮かべた瞳が、こちらを見下ろし…その言葉が終わるかどうかで突如、胸に衝撃が走った。
「『精霊の加護篤き者』の血なら多少は、魔物の生成を抑える役には立つかも知れない。まあ、それでも精々10日ほどか…これじゃ、次の勇者が育つまでには世界は終わっていそうだな」
 全身に、激痛が脈打つ様に走る中……獲物にとどめを刺す直前の肉食獣の如き、残虐にしてどこか愉しげな色を浮かべる魔王の手は…深々と、私の胸に刺さっていた。
 その手が無遠慮に引き抜かれ ――― 未だ拍動を続ける真っ赤な塊が何の躊躇もなく握り潰される。そこから飛び散った、暖かい…と言うより妙に熱い液体が、頬を滑り落ちていくのを数瞬だけ感じ……後はもう何も解らなくなった。

《 ― お前に巣食う“恐怖”は、今までの連中とは一味違って面白いな。…仲間を救いたければ、悪夢から解放されたければ、俺の下へ来い。夢の中で俺を倒してみろ》

 ――― 既に命尽きた筈なのに、何故か聞こえるそんな声は。倒してみろ、と言いつつおよそ倒される気はない様な、どこまでも人を嬲り尽くそうと言うかの嘲笑を多分に含んで虚空へと響いた…。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 ―…跳ね起きた全身が、嫌な汗で濡れていた。
 呼吸も寝起きとは思えぬ荒さのまま、暫く収まってくれそうにない。辛うじて、事の前後を思い出した頭で周囲を見回すと…落胆、というより最早諦観の域に達していそうな瞳の村長が。
「やはり駄目か……悪夢の根源、あれに太刀打ちできる者はいないのかも知れぬ。だが、あなたを村から脱出させてあげたくとも、あれを倒さぬ限りこの村から出ていく事は叶わない…せめても実体がある相手なら、まだ手はあったろうものを…我々には悪夢から逃れる術は見出せぬ」
 その言葉から察するに…たった今見た夢は、マーホー達の“警告夢”とはまた別物であるらしい。無論、自らの深層意識が見せる通常の夢でも有り得ないようだし、「悪夢の村」とは、一体全体どういう謎を抱えた村なのか?
「この村の西には、トラン森という深い森がある。そこに住み着いたのが悪夢の根源……夢を操るモンスターだ。あの者は、やってきたその日から村人全てに悪しき夢を見せ続けている…夢の力は計り知れない。人の心を簡単に砕く。村人も、多くが次々と悪夢の犠牲となり、今では随分と人が減ってしまった。山を下り越えた先にあるという聖樹の力も、ここまでは及ばぬ様だ ――― もしも村から脱出したいと願うなら、悪夢の根源を倒すより他はないが、旅人のあなたにトラン森へ行ってくれとも言えぬ。この話は忘れ……せめて多少なりと安らかな余生を過ごしてくれ給え」
 どうにか息の落ち着いた頃には、村長はそう言い終えると瞑想にでも入ったかの表情のまま、何も答えてくれなくなってしまった。だが、その言葉から…この村に見えた影の正体は何となく解った気もした。生憎と、ここでのんびり余生を送るつもりはないが、かと言って未だ情報不足のままトラン森とやらへ行く訳にもいかない。ひとまずは村長へ挨拶を向け、テントを出る。後、話を聞けそうな人物と言えば、やはりチャッピーさんかキャンディさんだろう。再び彼らを捜し歩きつつ、今し方の夢を思い返してみる……本来なら無理にでも忘れたい内容の悪夢だが、それが現在の解決すべき問題に関わる以上は止むを得ない。
 あの夢の最後…まず聞き覚えがない声の、あの言葉を発した者が「夢を操る魔物」と言う事だろうか。倒しに来い、とは言っていたが、例えばそれを鵜呑みにして夢の中で当の魔物を探しに行くと何らかの罠にでも嵌るのか ― 村人が随分減っている、と言う話からすると悪夢の犠牲、と言うのはそうした意味以外の可能性も高いが…ともあれ、今までに戦ってきた敵とはかなり異なる方面での強敵には間違いなさそうだ。

そっと静かに旅立つ 白銀の小舟に
哀しい涙は 乗っていなかった
掴めない つきかげに
憧れたままの あたしを残して

 ――― やや疲労感を伴いつつ歩いていた時、ふと…綺麗な歌声が耳に届いた。
 余所では聞いた事のない旋律だが、不思議と耳に馴染んで心地良い。その歌声の出所を探して、一番近くにあったテントを覗いてみると…ここの民族衣装なのか、見慣れぬ装いの女性が弦楽器を爪弾きつつ静かに歌い続けていた。やや小ぶりだが、恐らくはリュートだろうその楽器を弾く手がふいに止まる。彼女の視線がこちらに向いた事で、もしや邪魔してしまったのかと気づき、慌てて謝罪したが…女性は特に怒っている訳ではないらしかった。
「旅の方ですか?ようこそ、ウムバへ……と言っても、今ではもう…滅び行く運命かも知れぬ村ですが。私は楽師をしております…宜しければ、一曲聴いて行かれませ。この歌も、村と共に消えゆくよりは、どなたかの心に残る事を望んでおりましょう」
 村人のひとりである以上、この人もまた悪夢に悩まされている筈だが…そうは思えぬ程の美しい歌声の持ち主だ。或いは、その歌によって持ち堪えているのかも知れない女性は、微かな笑みと共に中へ入る様勧めると、再び絃を弾き出した。

こんなにも ねぇ
苦しい気持ち 感じていたなら
この場所で ずっと
『虚しさ』に 触れないでいられたのに

 ―…凄まじい悪夢に襲われた直後の精神を、その歌は霊妙な優しさで癒してくれる気がした。ただ、別の意味に於いて少々、胸が痛くなる様な気もする歌だったけれど。
 それでもつい聞き入ってしまう、その歌に……やがて心がほぼ平穏を取り戻した頃には、旋律と歌詞の全てが頭にすっぽり収まっていたのだった。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

「…そっか、聞いちゃったのね。村長が言う通り…この村はワケありなのさ。悪夢に縛られ続ける、呪われた村ってとこ」
 楽師さんの家から出て、暫く捜し歩いた後に見つけたチャッピーさんのテントの中、再会したキャンディさんは疲れた様な笑顔と共にそう言った。
「悪夢を送るのを止めさせたくても、あいつは力でどうにかなるようなヤツじゃない。そうこうする内、悪夢に耐え切れなくなった人は順に命を絶っていったよ……私も…もう無理かもしれない。いっそ死んでしまえば楽になる、そう思うようになってきてるわ」
「キャンディ ―――― 僕は嫌だね。確かに悪夢は耐え難いけど、だからってあいつに負けて終わるのも癪じゃないか」
「あんたは昔っから諦めが悪いからね、チャッピー。でも…一体、何をどうする気よ?」
 溜息を交えての言葉に、チャッピーさんも暫し黙り込んでしまう。その彼に、出来れば悪夢の根源とやらについて話してほしいと頼み込むと…。
「あんまり、良い話じゃないけど…知りたいなら詳しく話すよ。僕たちに悪夢を送ってくるのは、カブラスって名の夢を操るモンスターだ。奴は変わったモンスターで、現実世界では実体がない。だから力ではどうする事も出来ない…でも逆にカブラスも、僕たちに触れる事はできない。そんな訳で、直接的な被害は受けないんだけど……そこで奴は、夢を使ってくるのさ。すごく厄介でしょ?夢の中なんて、『夢の遣い手』の村長でさえ自由には動けないのに僕たちじゃどうにも出来ない」
「それを解ってて、あいつは夢の最後に言うのよ。《悪夢から解放されたければ、俺の下へ来い。夢の中で俺を倒してみろ》って…ただ精神を侵されるよりはと、挑んだ者は何人かいたけど…誰もカブラスには勝てなかった。小さな村とはいえ、それなりに腕は立つ連中だったのに…しかも、カブラスに負けた人間は皆、廃人になっちゃったの」
「いっそ村を捨てて逃げ出そうって考えの人もいたけど……山を下りようとすると、カブラスは問答無用で彼らを夢へ引きずり込むんだ。森や山の中でいきなり寝ちゃったら、悪夢以前に、狼や普通のモンスターにやられちゃうよ…暗い話でごめんね。でも、ウムバは今、こういう八方塞がりな状況なんだ。だからエルフィンも、元へは帰れないと思う…」
 ―…成る程、脱出の為には悪夢の根源を倒すしかない、との村長の言はカブラスという敵の行動から来る発言だった訳か。その魔物…言うなれば夢魔か、何の理由かは解らぬものの、そいつの行動だけを見るにウムバの村民の全滅を図っている様な…?けれど、村人を殺したところで破魔の様に、彼らの魂を手駒にする能力がある訳でもなさそうだし、一体どういう理由なのだろうか。
 だが、それは今は解らずとも良いだろう。ひとまずこれで、為すべき事は判明したのだから。少しでも早くアスティ達と再会する為には、そのカブラスを倒してここから出て行かねばならない。そして、ただ眠って夢を見るだけでは、いつまで経っても先刻の悪夢の繰り返しになると予想される以上、夢魔の言葉に敢えて従い、トラン森へと赴くより他にはあるまい。
「えっ…トラン森へ行くって? ――― その槍、相当の業物みたいだし、エルフィンが見かけより強いんだろうってのは解るけど…今言った通り、あいつは力じゃどうにもできない奴だよ」
 カブラス討伐の意思を伝え、トラン森への道を尋ねると、チャッピーさんは驚いた様に止めに入ったが……尚も言葉を重ねると、彼もまた何か決意の表情になって。
「…よし、なら一緒に頑張ろうエルフィン。もう悪夢を見るのは嫌だからね。僕も行くよ……キャンディも一緒に行かない?」
「―…そうね。もう悪夢は勘弁よ。どうせなら蹴りのひとつもくれてやりたいってのは同意だし、私も一緒にカブラスをやりに行くわ」
 彼に誘われたキャンディさんは、一口強めに吸い込んだらしい煙をゆったりと吐き出すと、チャッピーさん同様の強い光を湛えた目を向け、頷いた。つい先程までは、かなり弱気な発言の見られた彼女だが、元々は気丈な性質なのだろう。そんな彼女をも弱らせる程の悪夢を送り続けるカブラスは、ウムバの人々ならずとも許し難い敵である。…或いは魔王は、単に修行の為だけではなく、この村の現状を知ったが故に彼らの救済をも望んで私をここへ転送したのかも知れない。修行のみが狙いなら、私をただ一人、ガディウス遺跡にでも転送すればいいだけの話なのだから。
 新たに得た仲間達が支度を整える間、私もまた決意を深める。…やはり実際の魔王は、周囲を気遣い続ける優しい人だ ――――― その願いをなるたけ理想の形で叶えるべく、一刻も早くこの村を、夢魔の呪縛から解き放たねば…と。



 トラン森は、村から半日ほどで到着できる位置にある、かなり奥深い森だった。村より多少低い台地の、ほぼ全てを埋め尽くす規模の割に不思議と明るさは保たれている。所々に休憩所のような開けた場所があるのを見るに、ウムバの人々が数を減らす前は、彼らがそれなりに手を入れ、森を管理していたのかも知れなかった。
 だがそんな森も、今では魔物の巣窟だと村で聞いた通り、少し歩を進める度にモンスターが襲ってくる途方も無い“魔の森”と化していた。これでは休息の為の仮眠さえとれないが、カブラスの脅威もある以上、それは逆に必要ないのかも知れない。せめても薬での回復だけは怠らぬ様にして進み続ける事、約一日……辿り着いた山小屋は、奇妙な気配が周囲を包み込んでいて、その為か小鳥一羽さえ近くに寄っては来ないらしく、不気味な静けさを保っていた。
「ようこそ。久しぶりの挑戦者よ」
 扉を開け、中を覗くと…そこには輪郭のぼやけた“影”が佇んでいた。実体がない、との言葉通り、それは亡霊に等しい姿だったが、霊魂と異なり意思疎通自体は図れるらしかった。
「カブラス…いい加減、悪夢も見飽きたわ。覚悟しな」
「はははは。そんなに俺が憎いのかよ」
「当たり前だ。もう悪夢は見たくない。だからお前を倒しに来たんだ」
 キャンディさんの横から、チャッピーさんも敵影を睨みつけて言い放つ。けれど、あくまで人を馬鹿にした様な口調で語るカブラスは、何やら妙な提案を我々に向けてきた。
「まあまあ。落ち着いてルールを聞いてくれ」
「…ルールだって?」
「ただ単純に戦っても面白くないだろ?だからもっと楽しんでやろうぜ。――― この世界で俺と戦う事はできない、そんな事は知ってるはずだ。だから、お前らにはこの隣の部屋で寝てもらう。そしたら、俺が夢の世界へ案内しよう。…その夢の世界でお前らは協力し合って俺の下まで来て、そこで俺と戦うんだ」
 聞き返したチャッピーさんへ、詳細は語るものの…どうにも胡散臭い。キャンディさんも思ったか、尋問調で影へと返す。
「面倒なのは嫌よ。…と言うか、夢の世界ってだけで、あんたに有利なフィールドじゃない。そこに罠でもあるんじゃないでしょうね?いつもみたく、こっちだけが嬲られて終わりじゃ困るわ」
「ははは、安心しな。いつもの夢は、お前らが生み出すそれを俺がいじってるだけだ。だが今言ってる夢の世界は、最初から俺が創り上げるもの……だから普通の夢よりよっぽど明確だし、お前らの意思で動けもするさ。ま、夢の中で寝ちまったらお終いだがな。そんな訳だ、面倒でもちゃんと3人揃ってから俺の所まで来てくれよ…心の準備が出来たなら、隣の部屋で寝てくれ」
 ひと通り説明を聞いた後…キャンディさんと顔を見合わせたチャッピーさんは、小声で私へ。
「どうする?エルフィン……あいつの話に、乗ってみるかい?」
 ― 正直、かなり危ない話ではある。キャンディさんも言う通り、夢の世界に連れ込まれるというのは即ち、夢魔の庭へと入り込むようなものだ。今までに得た情報からして、この敵が正々堂々と勝負をするとも思えない。…けれど、世の中「どちらか一方のみに有利なゲーム・ルールは存在しない」のもまた事実だ。もしそう見える場合、それは片方が何か肝心なポイントを教えられていないが故に不利になってしまうのである。今回の場合も、恐らくカブラスは性格的に、何らかの攻略ポイントは隠したままで我々を自分のテリトリーへと引きずり込もうとしているのだろうが、逆に言えばその「隠されたルール」さえ見出す事が出来れば、今度はこちらが有利となる。少なくとも、相手と同じ土俵に立つ事は叶う筈なのだ。
「そっか。夢の世界をただ歩くんじゃなく、それを探しながら行けばいいんだね……よし。やってやろう、キャンディ、エルフィン!」
 覚悟を決めた声でチャッピーさんが言うのへ、キャンディさんと共に頷いてみせる。話がまとまったと見たか、カブラスが愉快気に告げてきた。
「準備がいいなら、ささっと寝てくれ。いい夢見れるぜ」
 …どう考えても“悪夢”でしかなさそうだが。ともあれ、状況は正に「虎穴に入らずんば…」というものだ、ここは腹を括っていくしかない。
 皆で小屋の中、寝室となっている部屋へ移動する。山小屋の割にしっかりした寝台が用意されている部屋は、カブラスの趣味とは思えぬ程に居心地が良い整い方だった。いざ横になってみると……夢魔の手によるとは考えられぬ位の気持ち良さと共に、あっという間に眠りへと落ちていった。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 目を開けた時…そこは見知らぬ部屋だった。
 起き上がって見回すと、まるでどこかの宿屋、その個室の様な造りだが…それにしては何ら物音が聞こえない。普通、こうした施設は様々な人間が集まる為に、多少の雑音は外から聞こえて来るものだが……布団や小棚などに触れてみても、普段と全く変わらぬ手触りだ。つまり、夢の中とは思えない。周囲の気配以外は、普通に現実世界であるかの様なその部屋を、用心しつつ後にする。
 数室ほど先の部屋は、扉が開いていたので覗いてみると…そこの寝台にキャンディさんが寝ていた。けれど、近寄ってみても起きる様子がない。――― 口元に手をやってみると、どうも息をしていない様だ。焦って肩をゆすってみたが無反応。これは早くも夢魔の罠に嵌ったかとさらに焦燥が増す中…背後に何かの気配を感じて振り返る。
「ねぇ、いい事教えてあげようか?」
 …はて、どこかで見たような…その小さな影に少々考え、それが以前シュトラで捜し歩いた迷子の子供と気づく。何故この子がこんな所に、とは思ったが…何か現状を打破する情報でも持っているなら、とその言葉に頷いて見せた。―――― ところが。
「ふふ、あのね……― くたばりな!」
 瞬時にその形相が、幼子の無邪気さから悪魔の笑みへと変化する。その身から吹き付けて来るのは、さながらダークホールの如き暗黒の魔力 ― 咄嗟に防御の態勢はとったが間に合わずに弾き飛ばされる。だが、狭い室内だと言うのに壁に打ち付けられる事もないまま、地に放り出された。一瞬息が詰まりはしたが、追撃に備えて無理やり身を起こす。…そこで思わず、目を疑った。
 冷たい触感に、手をついていた床を見るとそこは、雪が積もる地面だった。慌てて周囲に目をやれば、そこは既に宿屋でも、何らかの建物の屋内でさえなく、一面が銀世界の中……どう見ても外の景色だ。少し離れた所には、城とも要塞ともつかぬ巨大な建造物が聳え立っている。
 ―…これは相当、手強いかも知れない。今起きた出来事を反芻し…何となく、カブラスの仕掛けた罠を理解した。
 あの子供は本当なら、洞窟の奥まで自分を探しに来てくれた恩人たる私達に、良く懐いてくれた可愛い子である。それがああも変貌を遂げているというのは……この夢世界に於いてカブラスは、私が今までに関わった人々全てを、その性格を逆転させて配置しているのかも知れない。ウムバで見た悪夢の中の魔王を思い出してみても、それは多分間違いではない予測だろう。となると、その狙いとは…これまで築き上げてきた人間関係が、およそ信頼出来なくなるという“恐怖”の発現。そうして根深い不信感を植え付け、現実世界にまで悪影響を及ぼす ―――― 夢も現も、信じられる物など無いと言う恐怖に心を支配されれば後は、大概の人間は容易くカブラスの導きのまま、自ら命を絶ちもしよう。
 ふと顔を上げると、歩いた覚えもないのに、遠目に見るだけだった筈の要塞…その大門が眼前にあった。ここへ入れと言いたいのか ――― 思考を巡らせ辿り着いた夢魔の手口、その卑劣さに怒りは湧いたが、何とか冷静さを取り戻すべく数回、息を大きく吸った。ひとまず罠の詳細は掴んだのだ、後はそれに心を乱す事さえなければ…カブラス当人の戦闘能力は未だ謎だが、とにかく心は揺らさぬ事だ。恐らく最後にはそれだけが、あの敵に立ち向かう「武器」になるのだろう。
 宿で見たキャンディさんや、まだ会えないチャッピーさんの身も心配ではあるが…或いはあれも罠の一環で、本物の彼らは先にこの要塞に入っているかも知れない。その可能性に賭ける事にして、カブラスの下へ向かうべく、眼前の門を強く押し開いた。



 この建物の内部は、どうやら空間がかなり捻れているらしい ―――― 暫く歩いて回る内、何度も同じ場所へ出たり、一度入った部屋から出ると全く違った廊下が出現する事から、その事にはすぐ気付いた。但し、空間同士の繋がり方、その法則は中々見出せずに次第に迷い始める中……多くの見知った顔に出会い、そして彼らは予想通りに「歪められた」知人となっていた。
 気さくな良い人だったファランさんは暗い顔で謎の言葉ばかりを呟き、神の町の指導者である筈のジルクさんはその地位とは真逆の悪魔崇拝者と化しており、スウェブのラーンさんに至っては、血塗れの姿で呪詛めいた言葉を放ったかと思うと突然襲いかかってさえきた。偽物と解ってはいても、本物ならまず浮かべない筈の形相をしていても…知人をこの手にかけると言うのは相当の心的ダメージがあるものだと、つくづく実感させられてしまった。
「 ― 偽物はお前だよ」
 唐突に、背後からそんな声がかかる。振り返ると…そこにいたのはスマグのヴィープさんだった。
「本物のお前なら、俺たちを殺したりしないもんな。さっさと消えな、偽物」
 ―― どうせ、これも紛い物だ。気にしない事にして、その嗜虐的な笑顔に背を向ける。襲ってこないのなら、無理にこちらから戦闘を仕掛ける事もない、早い所カブラスを探し当て討伐し終えた方が余程、精神衛生上は良い。
「…そんなもので勝てるのか?」
 横からかかった声は…トニックさんのものだった。
「自分が気に入らん現実には目を瞑るのみ。背を向けるのみの精神で、強大な敵に勝てるとでも?」
 その挑発にも耳を貸さない事として、とにかく正しいルートを求め歩き続ける。こう立て続けにちょっかいを出してくるというのは逆に、カブラスの居場所が近いと言う証かも知れない、今はその一点に集中した方が身の為と言う気がした。
「良い子ぶるのはそこまでだ

 次に聞こえた声は、けれど流石に歩みを止めてしまうものだった。いつしか足を踏み入れていたのは地下牢の如き空間だったが…そこに佇んでいたのは、私が知るものとは全く異なる、人を見下す様な笑みと視線を向けてくるネコ耳青年だった。
「人を見下してるのは君の方だ。でも、いい気になっていられるのは今の内だけだよ」
 言うやリンさんの指が乾いた音を鳴らす。と、周囲が急に暗くなり……目に入ってきた人影に、覚えず背筋が震えてしまう。
 両手の指に余る数が沸いたであろう、どれもが同じ顔の持ち主達。それは総てが…自分、だった。鏡に映った虚像では有り得ない立体感からして、実体を持っているらしいそれらが口を開く。
《こんな旅、いい加減嫌になるわよね》
《本当なら平和な村で、のんびり日が送れていたのに》
《あの時スバノンが、余計な冒険心さえ出さなかったら…巻き込まれずに済んだのに》
 …冗談ではない。誰がそんな事を言うものか、と思わず頭に血が上ったが……繰り出した槍は同じく槍で封じられ更に、背後や横から、次々と自分の物と思えぬ声が立つ。
《仲間なんて言っても、みんな私に“勇者”だなんて重荷しか背負わせないし》
《リンさんなんて、人にお荷物与えておいて自分は気楽に、旅に出ちゃうしね》
《私だって自由気ままに暮らしたい。…ねぇ、いっそ彼の仲間になっちゃわない?》
 正面に立ち塞がる「自分」が、そんな言葉と共に指をさす。釣られてそちらを見た途端…総毛立つ思いがした。そこには、いつの間にか周囲と一人だけ異なる容貌の持ち主が出現していた……どこから見てもパーンさんとしか思えない姿が。
《勇者と魔王が手を組んだら、世界だって敵じゃない》
 その傍にいた「自分」が、親しげ…と言うより馴れ馴れしく、その人影に腕を回す。
《面倒な連中は放っておいて、このまま彼と支配者の側に立つのも有りよねぇ?》
《あなたもそう思わない?…だって“私”は、本当は ―――――― 》
 ―…問答無用、全力で放ったフロストタワーは「自分」を一人残らず氷柱と化させる。間髪入れず繰り出したマルチプルがその総てを、パーンさんの偽物ごと粉微塵に打ち砕いた。
 毛先に至るまでが心臓と化した如くに、乱れる鼓動が全身を震わせ止まらぬ中……明るさを取り戻した空間に再び、リンさんの姿が現れる。
「…全ての物には光と闇がある。ここにあるのは闇の姿 ――― ただそれだけだよ。悩む必要なんかない、今のもまた君である事に変わりはないしね」
 その影へ、ラピッドスティングを撃ち込んだが…素早い動きで槍先をかわす、彼の口は止まらなかった。視線にもますます、人を嬲るのが愉しくてたまらないといった色が混ざる。
「おやおや。少しでも僕の事信じてたのかい?君の“闇”を見ないでいてくれる優しい人だって?調子に乗るのもいい加減にしなよ。君なんかにアスティは任せられないね ― ここで、自分を認められないまま無様に死んでいくのが君にはお似合いだ」
 そこまでを言い放つと、今までは持っていなかった筈の短剣がその手に突然、握られた。そう言えば本物の彼は、アスティとほぼ同じ戦闘スタイルだった筈…偽物でも能力は同じなのだろうか?
「そろそろ終わりにしちゃおうか。君じゃゴールに辿り着けやしないよ。…――― !?」
 だが、その時……リンさんの顔に唐突に、驚愕の色が浮かび上がる。ほぼ同時に、その姿が霧が晴れるかのように薄くなり…完全に消え去った。
「ったく、悪趣味なヤローだな夢魔ってのも」
 何事かと思う間もなく、後方でそんな声がする。振り返った先に新たに出現していた、その人影に……咄嗟には言葉も出ずに立ち竦んだ。
「よっ♪なんか苦労してそうだな?我が後輩」
 鮮やかな銀髪、如何にも人当たりの良さそうな笑顔 ――― カブラスの能力とは、実際の知人のみならず夢でしか会った事がない人物までも再現できるものなのだろうか?だが、よりによって、この人までも駒として操るとは…怒りに任せた槍先を突き出そうとした所で、その人影は慌てた様な顔と素振りで私を制止にかかった。
「て、おいコラちょっと待て!俺は一応、本物だってっ。ま、ここまでの道中で人間不信になるのも解らんでもないが……綺麗な顔で凄まれると普通より迫力あるもんだな…初めて知ったぜ」
 言うだけなら幾らでも言えようが…言葉通りに冷汗など拭いてみせるエガオンに、一旦は攻撃を止めたものの、いつ裏切られても対処できる様、構えだけは解かずにおく。この世界に於いて、本物だなどと名乗る存在を信じられる訳がない。ましてや彼は、当の昔に故人となった存在なのだ。カブラスの領域内に現れた時点で既に怪しいと言うのに、どう信じろと……彼を見据えつつ思っていた、その時。
 手元で微かな、不思議な音が立ち上った。見ると槍が何かに共鳴するかの、僅かな震えと共に淡い光を放っている。…ふと思い立って、その先端を軽く眼前の人影へと向けてみると、一層光と音が強まった。彼もまた、それに気づいて何やら嬉しげな声を上げる。
「お、ヴァルキリア―じゃないか。懐かしいな ――― そっか、お前も槍使いなんだな。自分と同じ武器を後輩が使ってるってのは何だか嬉しいもんだな」
 …確か、この槍は彼の、最終決戦時のものだと聞いた気がする。精霊が彼へ託した“聖なる槍”であるからには、その判断に誤りはないだろうと予測される以上、今目の前に立つエガオンは、本当に本物なのかもしれない。亡霊にしては姿がはっきりし過ぎているが。
「どーやら認めてくれたぽいな。…武器の声が解るたぁ、さすが勇者の1人だ。さて、んじゃ納得した所で案内してやるよ。ちょいと俺についてきな」
 認めはしたが…一体どこへ行く気だろう?こちらの疑問を感じ取ったか、エガオンは過ぎる程の明るさを持つ声で。
「ここは、空間が思いっきり歪んでやがる…それは感じてただろ?その歪みを直して、この世界を牛耳ってるヤローの所へ行く道を見出す、そこまでの手伝いはしてやろうってのさ。道は解らねぇわ敵は知り合いばっかだわ、じゃ気の毒すぎるからな……ま、来いよ」
 そこまで言うと、後はくるりと向きを変えずんずん歩いていく彼の背を、慌てて追いかける。その後は何も言葉を交わす事無く、ただ付いていくだけなのに奇妙な安心感があるのは……この人がかつての勇者だというだけでなく、何処かスバノンに似た気配の持ち主だからかもしれない。何ひとつ油断できない世界の中、本物の親友と良く似た人が傍にいる、と言うのがこうも落ち着けるものだとは…それは何とも有難いひと時だった。
「―…あれだな。あのレバー、ちょいと下げてこいよ。それで歪みは消えるはずだ」
 この迷宮の造りを熟知しているかの、やけに迷いなき歩みが続いた後…辿り着いた部屋の最奥を指し示してエガオンが言った。その言葉に従い、カーテンの下に隠されていたレバーを押し下げると……空間に数瞬、不気味な揺れと音が響いて、多少ながら空気が清浄になった感じがした。
「おっしゃ。後はお前だけでいけるだろ。…お互い厄介なヤツに見込まれて苦労するが、まぁ頑張れよ。お前にゃ仲間もいるこったしな」
 その声が、先程までと違いやや不明瞭になった気がして、何事かと振り返ると…エガオンの姿もまた、ゆっくりとだが影が薄くなりつつある。知らず焦燥からその影を呼び留めようとするが……今何を言うべきなのか、よく解らずに立ち尽してしまう。そんな私へ銀灰色の、鏡めいた瞳がその色合いからは思いもよらぬ優しげな光を浮かべてみせた。
「この世界での“武器”についちゃ、お前も気づいてんだろ?…何があっても心は乱すな。あと、俺に関しちゃこれ以降考えなくていい。救えない命ってのもあるもんだからな」
 それが何を意味するのか ――― 問い返そうとした時には彼の姿は、逃げ水の如き速さで消え去ってしまった。暫し、呆然と立ったまま…言われた事に反するかの思考が脳裏を支配する。
 何故、今この時エガオンが私の前に現れたのだろう?消え方から察するに、また歴史上の事実を鑑みても彼が生きた実体である筈はない。仮に死霊が後世の勇者の守護霊化しているとしても、ならば今までの旅ではその姿を現さなかった理由が今ひとつ謎だった。
 …ふと手の中のヴァルキリア―を見下ろしてみる。彼が「本物」だと教えてくれた、この聖槍…或いはこれが、カブラスの掌中で踊らされる不甲斐ない『当代の勇者』を見かねて、かつての持ち主たるエガオンを召喚してくれたのだろうか。もしくは魔王が、手助けの為に…と言う考えも沸かなくはなかったが、それでは私を鍛える事は難しくなるだろうし、その可能性はかなり低いと見ていいだろう。やはりここは、この聖槍の力のひとつなのだと見る方が正解に近そうだ。
 救えない命、と言う言葉だけは変わらず謎のままだったが…命を魂、と置き換えればそれは他ならぬエガオン自身の事かもしれない。自害して果てたその魂は、通常と異なり成仏できずに世を彷徨い続けるままだったとしても不思議ではないからだ。そして、そうした魂を救う術は確かに、少なくとも私にはない。だからそこには囚われるな、と彼は言ってくれたのかも知れなかった。
 ――― やはり、私はまだまだ、勇者を名乗るには頼りなさすぎる人間のようだ。思いはしたが……それでも、とヴァルキリア―を握りしめる。例え未熟な存在でも、そんな私に希望を託してくれる人達がいる以上、出来る限りの力は尽くさねばならない。だからどうか、この先の旅でも力を貸してほしい…そう、手の中の槍へと祈る様に願いを込めてから、歩き出した。本来なら有り得なかった「出会い」への感謝と共に……カブラスへの闘志を新たにして。



 その魔法陣へと辿り着くまでには、また相当の精神的苦痛が間断なく襲いかかってきた。
 今度は知人に混ざって普通のモンスターも多数襲ってきたが、それは良い。問題は…レディアさんやアスティといった仲間達までが、敵となって容赦ない攻撃を仕かけてきた事だ。迎え撃たねばこちらがやられてしまうと言え……既に遺体となった姿を見せられた悪夢の時以上に、それは心が痛めつけられる事態だった。これは、例えカブラスに勝利して現実世界へ帰ったとしても、暫くは夢に見てうなされるかも知れない ――― 嫌な予感はひとまず無理にでも投げておき、転送の術式と思われる魔法文字が描かれた魔法陣、その中心へと立ってみる。
 果たして移動が始まった、その魔力が収束した時…現れた光景に目を疑う。
 比較的、今までの物よりは広い空間、その室内に ―――― チャッピーさんとキャンディさんの姿があった。但し、身動きひとつせず床に転がった状態で。
 駆け寄って、そっと身体をゆすってみるが…反応がない。その息を確かめようとした途端。
「おやおや、ずいぶん遅かったじゃないか」
 あまり歓迎は出来ない声が聞こえ、振り向くとそこには、小ぶりな鎌を携えたカブラスの明瞭な姿があった。どこか道化師めいた影が持つその武器は、小ぶりと言っても人を殺傷するには十分な大きさである。それをくるくる回しながら、カブラスは愉しげな声で。
「そこに転がっている2人…君があんまりにも遅いから、2人だけでかかってきたんだよ。3人で戦うって約束だったのに、君なんか居なくっても倒せるって思ったんだろうねぇ。ま、結果は見ての通りさ……ははは、哀れな姿だね」
 その侮辱ぶりに、我ながらきつい目で睨み付けたが、カブラスは軽く肩を竦めるのみだった。
「さて。お友達に必要とされなかった君ひとりが残った訳だが…それでも君は戦うかい?」
 その言葉は、全面的に信用がならなかった。そう長い付き合いでもないが、それでもチャッピーさん達が簡単に約束を破る様な人達でない事くらいは良く解る。それが、私を待たずして夢魔へ戦いを挑んだというのは……恐らく彼らに対しても、カブラスは相当酷い言葉を投げかけて煽ったのだろう。或いは、私がいち早く逃げ出したとでも言ったかも知れない。だが、そうした言葉に乗せられたのだとしても彼らを責める気にはならなかった。チャッピーさん達は既に長い日数、カブラスの送る悪夢に精神を蝕まれていたのだ、判断力が鈍っていたとしても何ら不思議はないのだから。
 今、私に出来る事というなら、彼らがカブラスの言う様な人達ではないと信じつつ、その仇を取るべく眼前の敵を討ち果たす、それだけだろう。槍先を向けつつ告げた言葉に、カブラスはどこか不愉快そうな顔色で鎌を持ち直し、攻撃体勢になった。
「なんだ、随分お友達を信じてるね。実際目の前に転がってる姿を見たら、そんなに信じられる筈がないと思うんだけど…まあいい。戦うっていうなら、相手になるさ。せいぜい楽しませてくれよ」
 どこまでも煽る口調が止むや ――― その鎌が唸りをあげて襲ってきた。飛び退って避けたが、その刃先は次々と向きを変えつつ迫ってくる。しかしこの程度なら、かつての破魔の方が威力はあったし対応は出来る、そう踏んでスピンアライジングで反撃狙いの防御態勢を取る。思った通り、数度の反撃を食らった時点でカブラスの身は大きく揺れ隙が出来…そこへラピッドスティングを叩き込もうとした時、だが急に身体から力が抜けた。
「―…ちっ、君かなりすばしっこいな。ま、それでも近づけばドレインは通じるけど」
 今度はこちらに生じた隙をついて襲ってきた鎌は、だが急いで大きく後方へ飛んだ為、腕を掠めただけに終わる。そこにヒーリングをかけつつ、次の手を見出すべく相手の様子を窺った。…ドレインが使えると言う事は、あまりその傍には寄れない。と言うか、ラピッドスティングは剣に比べれば間合いは取れる技、それでもドレインを食らってしまうと言う事は、カブラスは呪術は大した腕前だという事だ。となると、槍技はスピンアライジングに留めつつ魔法を繰り出す方が良いのかも……そんな考えをまとめかけていた時。
「あっ、エルフィンだ!」
「ホントだ、エルフィン~!…何で1人で倒そうとしてるの。3人で協力するって話じゃん!」
 突然、背後で上がった声に驚き、カブラスに注意しつつ振り返る。するとそこにはキャンディさんとチャッピーさんが、たった今魔法陣から出てきたと言わんばかりの様子で立っていた。
 抗議を向けるチャッピーさんの隣で、キャンディさんは何か気づいた風に。
「…ふーん。なるほどね」
「どうしたの?キャンディ」
「チャッピー、ほら。そこに私たちが転がってるでしょ」
「え…?うわ、ホントだ。何これ…」
「こいつ…ダミーを使って私たちをバラバラに戦わせる気だったんだよ」
「なんだって…!」
 急いで彼らの傍へと駆け寄り、再びカブラスへと槍を構え直しつつ私も見直す。…足元近くには未だに、チャッピーさん達の動かぬ体が転がっている。今、隣で話しているのと寸分違わぬその姿……成る程。どうやら私こそが、カブラスにまんまと騙されていたらしかった。
「ちっ…余計な邪魔が入っちまったな」
「ふざけるなっ。結局、僕たちを騙してかかる気だったんじゃないか!」
「エルフィン、安心しな。本物の私たちは生きてるよっ…カブラス、あんたはここで終いさ」
「そうさ、3人でこいつを倒そう…!」
 言いながら身構える彼らに頷きつつ、敵がドレインの使い手なので注意する様呼びかける。キャンディさんは鞭使いなので多少はましだろうが、チャッピーさんの得物は短剣だ。迂闊に攻撃を仕かけようものならあっという間にドレインの餌食である。
「何だよ、面白くねぇな。…遊びは終わりだぜ、さっさと片付けてやるよ!」
 言うなり襲いかかってきた鎌を、スピンアライジングで弾いた所へチャッピーさんがショットガンアイスを撃ち込んだ。しかしその氷結呪文は大したダメージを与えていないらしく、カブラスは凄まじい猛攻に入り私やチャッピーさんに攻撃の暇を与えない。だが一瞬の隙をついてキャンディさんの鞭が、鎌の柄に絡みついた。
 動きが止まった、その瞬間を逃さずフロストタワーを唱えるが……カブラスは、氷結魔法への耐性は高いらしい。やはり、動きが鈍る事のないままその手が鞭を解いてしまう。即座に襲撃を再開する刃先を、私は防御できたものの…チャッピーさんは短剣故か防ぎきれずに血煙が舞った。
「チャッピー! ― こいつ、いい加減にしなよっ!」
 どうも深手らしい、と急いでハイヒーリングを唱える私の後方から、怒りの声と共にキャンディさんがサークルブレイズを放つ。すると初めてカブラスが苦鳴をあげた。どうやら火炎魔法は有効らしい、キャンディさんも気づいたか鞭での攻撃より呪文に主体を置き始めた。
「お前らこそ、いい加減にくたばりなっ」
 しかしキャンディさんは、魔法の発動までに「溜めの時間」が割とかかるらしい。故に数が打てない火炎魔法を掻い潜ってカブラスが鎌を振りかざす。咄嗟、ひとまず傷がふさがったチャッピーさんをその場に、飛び込んでスピンアライジングを放ったが……今までとは明らかに違う強打に、反撃には及べず、それどころか片膝をついてしまった。そこへ更に凶刃が襲い来るが、それは風刃魔法で何とか跳ね返す。火炎魔法ほどではないが通じるらしいその呪文に、片腕が傷ついたらしきカブラスが舌打ちと共に飛び退る。
「ごめんよエルフィン、大丈夫かいっ?」
「あいつ……ダークシャープも使えるんだ。槍が曇ってる…腕とかは大丈夫?エルフィン」
 キャンディさんの謝罪の脇から、チャッピーさんが聞いてくる。見ると確かに、刃の輝きが失せているが ――― 流石は聖槍、立ちどころに曇りは消え元の美しさを取り戻す。しかし、ダークシャープ…闇の闘気を武器に籠め相手へ放つ技を使うとは、道理で手応えが異常だった筈だ。受け止めた武器がヴァルキリア―でなかったら、或いは槍を通してチャッピーさんが案じる様に身体の方まで、闇に侵されていたかもしれない。
「これは多分、エルフィンが突撃する方が敵いそうだね…私たちは魔法で援護しよう」
「だね。2人で唱えまくれば、あいつもたぶん呪文から逃げきれない ――― 悪いけど頼むよ、エルフィン。後ろは任せて、僕たちどっちも回復魔法使えるから」
 その言葉に頷くと、まずは高速連打が可能な上に慣れている故動きやすいデザートレイドで、夢魔へと特攻を開始する。カブラスに近づいた所でドレインを使う気配が見えたが、そこへストームカッティングとショットガンアイスが飛び込んできた為、無事に逃げ果せる事が出来た。キャンディさん達が更なる連続魔法攻撃を仕かける間に、精神を集中し、ある1つの技…その成功イメージを脳裏に描き上げる。未だヘイストの恩恵無しでは成功した事のない技だが、何故か今なら、それが完全に使いこなせる気がした。
 風刃と氷の刃、そのどちらもがカブラスの、闇の闘気が篭る鎌に封じられた瞬間 ―――― 道化師風のその姿へ突進し撃ち込んだエントラップメントは、狙い違わず連攻の全てが命中する。悲鳴と共に棒立ちとなったその身体へ、止めのマルチプルを叩き込んだ。防御力の一切を無視して強打を与える技だ、何の構えも取っていないカブラスには正に致命打となったに違いない。
「畜生…こんなやつらに…悔しい…。悔しいが ――― 完敗だぜ…」
 言いながらもその口元は、尚も人を嘲る様な笑みの形に歪んだが……最後の方は擦れた声で、やっとといった風に呟くとその身が、蜃気楼の如く空中へ消え去った。
「凄いね、エルフィン……エントラップメント使える人間なんて、私初めて見たよ」
「ホントだね~。おかげでカブラスが倒せたよ、本当に凄いや。でも…ここに来た時、エルフィン1人で戦ってるからびっくりしちゃったよ」
「それはしょうがないでしょ。これがダミーだなんて…気づく方がおかしいわ」
 どうやら終焉となったらしい、と見極めをつけて皆で安堵する中、キャンディさんはそう言いつつダミーの自分を容赦なく蹴り飛ばした。その姿にチャッピーさんが目を丸くする。
「キャンディ……よく、自分そっくりなダミーを蹴飛ばせるね…」
「そっくりだからこそムカつくんじゃないの。これのせいでエルフィンが危ない目にあってたのよ?まるで自分がエルフィン騙したみたいで、腹が立つったらありゃしないわ」
「まぁ確かに気持ち悪い人形だけど…。ところで、カブラスは倒せたけど、この後どうすればいいんだろ?」
「さあ…?確か途中で聞いた話じゃ、《夢の世界から抜け出すには、夢の中で寝ればいい》って事だったよね。なら、その辺で寝ればいいんじゃない?」
「…適当だな~」
「しょうがないでしょ。アイツ、自分が勝つつもりだったみたいで、ここから抜け出す方法教えていかなかったんだもの」
 確かにカブラスは、それを伝えては行かなかった。ではどうするかと言うと、私にも解らないが…似た様な事態は、ブルン城でのパーンさんの技で経験済みだが、あの時の夢世界は私の精神力を下地にしたものだった筈。今回の場合、カブラスはその能力上、己の魔力のみで世界を構築しているだろうし、そうなると誰か1人が現実世界で目を覚ます程度では全員が脱出する事は叶わないかもしれない。困ったものだと全員で頭を悩ませていると…。
「…!?」
「な、なに何っ?…きゃ!!

 突如、地震の様に部屋が大きく揺れた。その上、何やらそこかしこに稲妻の如き光が走り出す。
「こ、これもカブラスの罠とかっ?」
「解らないけど、気をつけてキャンディ、エルフィン ――― わあぁっ!?」
 思わず皆で寄り添いながら、揺れに耐えようとした時、一際激しい振動が足元から突き上げた。そのせいで身体が宙を舞った……かと思った次の瞬間には、まるで奈落の底に落ちていくかの、いつ果てるとも知れない墜落感が身を支配し…途中でふっと視界が、意識自体も途切れてしまった。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

「あ、起きたねエルフィン。おはよう」
 気づくと、そこは元の山小屋、その寝台の上だった。起き上がると、傍で見守っていたらしいチャッピーさんが声をかけてくる。
「色々大変だったけど、何とかカブラスを倒せたね…これでもう悪夢に脅かされる事もない。ありがとう、エルフィン。エルフィンが居てくれたから…僕たちも勇気を出して戦えたんだ」
 その謝辞には、笑顔を向けつつも首を振る。彼らが戦えたのは他でもない、彼ら自身が持つ強さ故だ。特にチャッピーさんは、例え私がウムバに来なかったとしても、最後にはカブラスの下へ向かっていたのではないかと思えるものを持っていた。私と言う存在はあくまで、ささやかなきっかけでしかなかった筈だ。
「そんな事ないさ。最初にカブラスを退治しに行くって言ったのはエルフィンだったし…何だか、エルフィンには人を引き付けるっていうか、凄い影響力みたいのがあると思う。それのお陰で、きっと僕たちも動けたんだよ」
「あら、エルフィン起きたんだね。…協力してくれてありがとう」
 チャッピーさんの言葉の最後を継ぐように、現れたキャンディさんも礼を述べてきた。
「何だかんだ、一番危ない目にあったのはエルフィンだったね。…でもこれで、ウムバは悪夢の檻から抜け出せた。これからはもう、人が減る事もなく安心して暮らしていけるよ ――― ここから安全に出て行ける地下洞窟の入り口は、さっきチャッピーが見つけたよ。もっと何かお礼をしたいけど、私たちじゃ何も出来なそう……せめてもってのが、それくらいで悪いけどね」
「て、キャンディ。そんな追い立てるような…」
「そんな訳ないでしょ。…しょうがないよ、エルフィンにも帰りを待つ人がいるんだから」
 その瞳は、何とはなしに揺れて見えたが……キャンディさんが浮かべたのは、静かながら力強い笑顔だった。その意味を正確に汲み取ったか、チャッピーさんもただ頷いてみせる。
「そっか…そうだね。エルフィン、洞窟への階段はこっちだよ」
 そう言うチャッピーさんの背中についていくと、山小屋の中、その一番隅っこに地下室にでも降りるかの簡素な穴が開いていた。そこを下りていけば、山を下って外界へ出られる地下洞窟があると言う。説明に頷きはしたが…これで終わり、と言うのも何だか呆気ない気がして…足が前に進まない。振り返ると、似た様な思いらしいチャッピーさんが声をかけてきた。
「エルフィン…たまには遊びに来てね。何もない村だけど」
「またいつでも顔出しに来るんだよ。何年後でも…何十年後でもいいさ。また会える事を願ってる。だから…それまで元気でやるんだよ」
 キャンディさんも彼の隣でそう言うと、火をつけたまま口は付けていなかった煙草をつい、と口元へ寄せ……初めて会った時の様に大量の煙を吹きつけてきた。不意討ちにまたしても、激しく咳き込んでしまう。そんな私に、キャンディさんが楽しそうに笑った。
「キャンディ…そんな、最後までいじめなくたって…」
「いじめちゃいないってば。それに、最後なんかじゃないよ」
「…え?」
「別れはいつか、必ず来るもの……そりゃ確かに寂しいさ。でも、二度と会えない訳じゃない。だから、これが最後だなんて思わずに、ほら ――― 笑顔でさよならしなよ」
 言葉と共に、キャンディさんの指がチャッピーさんの頭を軽く突く。その動作と、彼女の笑顔に…チャッピーさんもまた、完全とは言えないまでも明るめの笑顔を浮かべた。
「そうだね。…エルフィン、元気でね」
 そんな彼らに励まされ ―――― 一度、それぞれと握手を交わすと、後はもう振り返らずに地下洞窟への階段を下りて行った。口では言い表せない寂寥感はあるものの…キャンディさんが言う通り、私には帰りを待ってくれている人達がいる。それに、まだやらなければならない事もある。一時の感傷に任せて、ここで足を止める訳にもいかないのだ。
 カブラスはいなくなったが、トラン森には未だ多くの魔物もいる。それらの脅威は、まだウムバを悩ませる事だろう……チャッピーさん達を真実、安全な暮らしに還してあげるには、やはり私が仲間達と共に魔王を倒しに行かなければ。その思いを胸に、ひとり暗い地下洞窟を進んでいく。
 ただ、今回の事件で1つ、改めて思い知らされた事がある。その事が今、唯一この道先の大いなる不安として影を落としているように思えてならなかった。―― 知人を手にかける衝撃は、それが偽物と解っていてさえ計り知れない。ましてや、確実に本物と解っている相手を前にした時……果たして私は目的を遂げる事が出来るのだろうか?
 その不安が杞憂に終わってくれるか否か…それは、その時になってみなければ解らないけれど…。



「お、エルフィンちゃん。何だか久しぶりだね…元気にしてたかい?レディアが心配してたよ」
 数日後、ユグドはアスティの家。2階へ上がると、相変わらずのマイペースぶりで出迎えてくれたリンさんの、その笑顔にほっとする。…やはり彼には、この猫っぽい笑顔が良く似合う。
 トラン森からの地下通路は、何とネイダック洞窟の最奥、かつてシュトラの酒豪さんの依頼でネズミ退治に出かけたその場所へと通じていた。…そう言えばウムバの村長は「山を下り越えた先にあるという聖樹の力も、ここまでは及ばぬ様だ」と嘆いていた。つまりウムバとユグドは、思いがけず“ご近所”だったという訳だ。
 状況を把握した所で、まずユグドへと向かったのは、パーンさんが「君の仲間をそれぞれの因縁深き土地へと転送した」と言っていたのを思い出したからだ。その言を信じるなら、ユグドには確実に仲間が、アスティやスバノンは間違いなく居るだろうと思ったのだ。
 けれど、村内はおろか実家たる宿屋内を見回してみても彼女達の姿はない。代わりに食堂に座っていたのは、レディアさん一人だった。この分だとブルーさんもユグドには居なそうだ。
「あっ、エルフィンちゃん!良かった、やっと会えたよ。―…えへへ、少しの間リンちゃんの家にお邪魔してたんだ。…でも他の皆はまだ見つかってないのね。無事かなぁ…?」
 傍へ寄ってみると、笑顔から一転、如何にも心配そうな顔になるレディアさんの手には、何やら見た事のない物体が握られていた。パンにも見えるが、何だかそれより柔らかそうだ。おまけに、やたらと白い。そしてその物体は1つではなく、彼女の手元の皿に後3つ程乗っていた。
「あ、これ?肉まんって言うの。昔、どこだったかの町に調査の旅で寄った時に食べたのが忘れられなくてね~。それを、こんな感じってリンちゃんのお母さんに説明したら、これが見事に再現されてね……お母さん最高っ!もう何だか、愛しちゃうわっ」
「あはは、お客様の要望にお応えするのがサービス業ってものだからね。頑張ったわよー」
「よっ女将の鑑!!素敵だわ~お母さん」
 ―…いつの間にか背後に来ていたアスティ達のお母さんへ、それはもうノリ良く声をかけるレディアさんは…声音からして至福に満たされていた。この人、案外食べ物で釣れちゃうタイプかも……かつてのリンさん曰くの「面白い人」と言うのが今ほど実感された事もなかった気がする。
「ま、エルフィンちゃんも1つ食べたら?旅してきたんなら、お腹空いたでしょ」
「リンちゃん、勝手に取らないで!これは私のなんだからねっ」
「…レディア。そんな沢山1人で食べると太るよ…」
 言いながら皿へ手を伸ばしたリンさんを、ぴしゃりと叱りつけつつ、レディアさんはしっかり皿をガードした。…まぁ、彼女の逆鱗に触れてまで食べようとは思わないので、そのままにしておく。
「まぁいいけど…とりあえず、それ食べ終わったら皆を探しに行ってきなよレディア。お迎えも来た事だし……やるべき事、終わってないんでしょ?」
「行くのはいいけど…リンちゃんは行かないの?」
「僕は行かないよ。もうちょっとで、僕のやる事も終わりそうだしね」
「…アスティちゃんの事、心配じゃないの?」
「あははは。あいつはもう一人前だよ。1人でも、どこかできっと上手くやってるさ ――― 可愛い我が妹も成長したもんだなぁ。うん」
「―…この兄バカ…」
 ぼそっと呟かれたその一言は、ネコ耳に届いたのかどうか……ひとり悦に入って頷くリンさんを呆れた様に見やると、レディアさんは私へ視線を転じた。
「まぁリンちゃんは元々、途中で抜けたからね。私たちだけで皆を探しに行きましょ」
 どこか冷たい響きもあるその言葉に、だが大人しく従う意思を示したのは、単に「レディアさんには逆らわない」との教訓からのみではない。リンさんは以前、ここで調べ物があると言っていたのを思い出した為でもあった。今し方も、もうすぐやる事が終わると言っていたし、彼は彼で何かしらの“大切な事”を抱え込んでいるのかも知れない。その邪魔をするには忍びないと思ったのだ。
「お母さん、お弁当用にもう少し肉まん作ってもらって良いかしら?」
「はいはい。もっとも日持ちがするものじゃないから、少しだけね」
「そっかぁ残念…ま、仕方ないわよね」
「あはは。レディアちゃん、何ならうちにお嫁に来る?そしたら肉まん食べ放題よー」
「…母さん。それ、つまり僕とじゃなく肉まんと結婚してない?そんなのお嫁って言わない…」
 何とも楽しそうな会話である。まあ確かに、その条件だとリンさんと、と言うよりはお母さんと結婚する感じなので彼が微妙な顔色になるのも止むを得まいが…。
 お弁当の支度が整うまで、レディアさんの“至福の時”を邪魔しない様気をつけながら、何処を探せば皆が見つかるかを、無事見出せるかとの漠然とした不安と共に考えてみる。…お弁当は恐らく、私の分もレディアさんが食べそうだな…と、そちらにも少々危惧を覚えつつ。

─…‥・‥…─…‥・‥…─…‥・‥…─

 ユグドを発ってから一週間ほど後…。
 仲間を捜し歩きつつ辿り着いたブリッジ。その中で因縁深き、といったら占いの館かここくらいだろう、と思われるトニックさんの家で、漸く見出したアスティの姿にレディアさんが呆れた風に。
「この子…本当に良く寝るね…」
 言われても、およそ反論しようがない状態だった。寝台の上、それは気持ち良さそうに眠っているアスティ、それ自体は別にいいのだが…時間は既に昼近く。世間一般の人々は、当然ながら起きて活動している頃合なのだ。
 トニックさん曰く「彼女、寝る場所がなかったみたいだから、うちに泊ってたんだよ」との事だったが…仮にも居候の身でこの時間まで寝ていられるとは、何と言うか強者としか言いようが……思わず天を仰ぎつつ、リンさんに向けて心中で手紙など綴ってしまう。貴方の妹は、成長と言うより寧ろ退化してますよ…と。
「アスティちゃん。…アスティちゃん、迎えに来たよ。起―きーて~っ」
「…ん~?」
 レディアさんが何度か呼びかけ、最後には結構な大声になる。そこでやっと、アスティに微かな反応があった。更に呼びかけが続けられると、その目が少しだけ開かれて…。
「あれ、レディアさん……どうしたの?」
「ふぅ…寝起き早々悪いけど、一緒に行くよ」
「え…行くって…どこに~?」
「スバノンとブルーさんを探しに。…アスティちゃんは、二人の居場所について何か知らない?」
「ん~…うん。知らないなぁ」
「そっか。じゃ、また探し回ろう」
 寝惚け声ながら、一応会話は成立している為、てきぱきと話を進めるレディアさん。しかしアスティは、夢うつつだからこその恐ろしい暴挙に出た。…堂々とレディアさんに反抗したのである。
「え~。もうちょっと寝てたいよぉ……後で出かけるから寝かせて~」
「―…もうたっぷり寝たでしょ?起きなさい」
「まだ足りない~」
「――― 起・き・な・さ・い!」
 遂に忍耐も限界に来たか、レディアさんは寝台に近寄ると、一気に掛布団を剥ぎ取った。ついでに枕も奪い取ろうとしたが…途端アスティが、それは必死な形相で枕にしがみつく。
「いやぁぁぁぁっ!何するのレディアさんっ」
「世間は既に昼なのよ、昼!いい加減に起きなさいっ」
「や~!私とお布団ちゃんの仲を裂こうだなんて……レディアさんの鬼、いけず~!!」
「…えーいっ!一体なんの修羅場で愁嘆場よ、これは!!」
 何だか、間に割って入るのも難しい「戦闘」が展開されてしまった…。騒ぎを聞きつけたか、トニックさんもいつの間にか、台所の方からやってきて私の傍に立っている。
「ははは、女の子は賑やかでいいね。うちにも一人くらい欲しかったなぁ」
「こんな寝惚け娘で良かったら幾らでも、熨斗でもリボンでもつけて差し上げますよトニックさん!!…とりあえず、この子何とか起こして下さいっ!」
「いや~…アスティちゃんは中々、寝方が堂に入っててなぁ。うっかり起こそうとすると、おれでは危険だ。君の方がまだ、いい線いってるぞ」
「――― 寝方なんて、熟練も極めもしなくっていいんですっ」
 その、少々乾いた笑いから察するに…トニックさんも一度ならず、アスティの寝起きの悪さには苦労させられたものらしい。流石に申し訳ない思いから、彼の顔をまともに見られず俯いてしまう……内心では先刻同様、空を仰ぎたい気持ちだったが。
「仕方ない…もうこのまま、引きずっていこう。お世話になりました、トニックさん」
「お、おお。別にそれはいいんだが…大丈夫なのか?その状態で」
「問題ありません、大人しくさせてから運びますから」
 言うやレディアさんが唱えたのは…スリプルだった。忽ち深い眠りに逆戻りしたアスティから枕をもぎ取ると、ベッドの上を手早く整え、彼女を背負う。
「エルフィンちゃん、悪いけどアスティちゃんの荷物持ってきて。…では失礼しました」
「…力技だねぇ。逞しいと言うか…まぁまた、暇があったらおいで」
 感心した様な笑いで見送ってくれるトニックさんに、私も丁重にお礼を述べるとレディアさんの後に続く。目指すはブルン王から借りた、あの船だ。…何故かシュトラに着いていたその船で、ブリッジまでは来たのである。海路の方が魔物に遭遇しないし、この先どの町へ立ち寄るにせよ、船の存在はとても有難いものだった。
 それにしても…レディアさんといいアスティといい、何だか其々の「こだわり」に関しては恐るべき力を発揮している様な。この分だとブルーさんやスバノンを回収する際にもひと悶着ありそうな……先行きに、魔王討伐より大きな不安を抱いてしまったのは…彼女達には秘密であった。
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